2016年9月5日月曜日

ローマ帝国の崩壊・1666年のロンドン大火・クリスマスのハロッズ侵入・そして強風世界


我が家の最寄り駅の一つ隣に Barbican という駅があって、そこから歩いてすぐの所に、Museum of London という博物館がある。名前の通り、ロンドンという街そのものをテーマにした博物館だ。先史時代から現代に至る様々な展示品が並んでいて、なかなか見ごたえのある博物館だ。

「ロンドン」という地名は、ローマ帝国時代の植民地「ロンディニウム」から来ている。テムズ川ほとりのロンディニウムは、ローマ帝国ブリタニカ交易の中心地だったそうだ。もっとも、当時のブリタニアは文明の先進地ローマ本国からの輸入品に頼る一方で、主要な輸出品は牡蠣だったらしいが…
さらにさかのぼって「ロンディニウム」の語源はというと、これはよくわかっていないそうだ。ケルト原住民の言葉で「湖の要塞」という意味があるだとか、非ケルト系(印欧系)語源で、「早く流れる川」という意味があるだとか、諸説提案されている状況のようだ。いずれにせよ、テムズ川に由来して名付けられたのは間違いなさそうだが…

ローマ帝国時代にロンドンはたいそう栄えたが、古代時代の栄えた都市の宿命として異民族の襲来をたびたび受けていたそうだ(アングロ・サクソンの語源でもあるサクソン人はその代表だ)。そのため、ロンドンにもローマ人がつくった城壁の跡が残っていて、この城壁に囲まれていたエリアが元祖ロンドン・シティといえる。Museum of London は、この古いロンドンの一番北西の端に位置するようで、博物館の裏手の庭に、実際にローマ時代の壁が残されていた。西ローマ帝国が滅びてから少したった411年に、ロンドンはサクソン人の手に落ち、ここからブリタニカの中世が始まるとのことだ。

Museum of London 裏手のローマ帝国の壁

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今年は、1666年に起きた「ロンドン大火」からちょうど350年ということで、市内ではいくつかのイベントが開催されていた。このロンドン大火、どれくらい悲惨な事件だったかというと、4日間にわたってロンドンが燃え続け、当時のロンドン市の約4分の1を焼き払ってしまい、10万人以上の人が家をなくしたそうだ。かの有名なセント・ポール大聖堂もこの火事で焼け落ちてしまい、復興されたのが、今のドームを持つセント・ポールだ。

イベントの一環で、セント・ポール大聖堂のドームに炎の映像が映し出されていた。


いくら300年以上前の歴史的出来事とはいえ、それを現代でイベントにして盛り上げてしまうという、イギリス人の感覚にはまだ慣れないところがある。日本でもほぼ同時期に江戸で大火事が起きているが(明暦の大火、1657年に発生し江戸の約6割を燃やしたといわれている)、この事件を大々的に記念するイベントが東京で開催されたとは思えない。
ともかく、そんなロンドン大火関連イベントの一環として、 Museum of London では、ロンドン大火に関する企画展 "Fire! Fire!" が開かれていた。ちょうど、先週末が実際に火事が起きた週末だったこともあってか、博物館はとても混雑していて、入場まで1時間待ちだった。



ロンドン大火の火元は、プディング・レーンというロンドン橋近くにあったパン屋らしい。火の不始末が原因とも放火が原因ともいわれている(後で放火犯が名乗り出たことで、このパン屋は糾弾を免れたらしいが真相は闇の中だ)。
当時のロンドンは、東京の下町もびっくりの超密集木造建築地帯だったうえに、プディング・レーンにはパン屋や酒屋が多くて、小麦粉とかブランデーとか燃えやすいものがたくさん置いてあったのも火の勢いを強めてしまったらしい。

9月2日の深夜1時、プディング・レーンのパン屋から出火

9月6日午前5時、ようやく鎮火

燃え続けるロンドンを呆然としてみている人々の間には、様々な陰謀論が流れたようだ。「カトリック教徒の陰謀だ」、「強欲にまみれたロンドンの人々への天罰だ」などなど。関東大震災の時の流言で外国人に危害が加えられたり、東日本大震災の後に「天罰だ」といって物議をかもした元都知事がいたり、といったことを思い返すに、災害時に出てくる人間の本質にはあまり変わりがないようだ。

「ロンドン大火は、罪深いロンドン市民への神の怒り」

この展示では、ロンドン大火を行政的な側面からも解説していてなかなか興味深かった。「被害が拡大した原因の一つは、ロンドン市長がぐずぐずしていて、延焼を防ぐための建物取り壊しを命令しなかったから」とか、「様々な計画的な都市再興計画が考えられたが、地権者との調整が難航することが予想されたため、元の複雑な通りをそのまま残さざるを得なかった」とか、あまり現代と変わらないんだな、という所だ。

地権者と賃借人の調停を行う専門の裁判官がいたそうだ


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ロンドン博物館を見た後、ちょっと所用があったのでハロッズまで行ってきた。するとどうだろうか、まだ9月に入ったばっかりだというのに、ハロッズ・コーナーはクリスマス・グッズに占領されているではないか。
ハロッズでは、毎年クリスマス用の限定テディベアを発売しているのだが、すでに売り場はこのベアやらツリー用のオーナメントやらで埋め尽くされていた。イギリスの短い夏はあっという間に終わり、最近朝晩冷え込むようになってきたとはいえ、あまりもの気の早さに驚く。

ハロッズの今年のイヤー・ベアのヒュー君

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話をロンドン大火に戻す。この前、テムズ川のほとりを散歩しているときに、木でできた不思議な模型が船の上に置いてあるのを見つけた。家に帰って調べたところ、この木の模型は17世紀のロンドンの街並みを再現したもので、ロンドン大火関連イベントで実際に燃やしてしまうということが分かった。何というか、すごいイベントだ…

木の模型で再現されたロンドンの街並み

ということで、昨日の夜、実際に燃やされている現場を見てきた。強い風にあおられながら、もうもうとした煙が流れている。ロンドン大火の被害が甚大になったのは、(想像の通り)ちょうど強風の吹き荒れていた時の出火だったためだが、それもうなずける迫力のあるイベントだった。

昨日の夜は、強い風が吹いていた

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日本ではこの夏、某怪獣によって東京の街が破壊されることが話題になっているらしい。その一環で、twitter 上で「都市の破壊と再生」について興味深いツイートをしている人を見つけた。


ロンドンも東京(江戸)は、数世紀にわたって、疑うことのない世界的な大都市であり続けている。ロンドン大火や明暦大火、ブリッツや東京大空襲といった悲惨な破壊に何度も見舞われていても、だ。それは、上のツイートが指摘するように大都市が有している独自のシステムが働いているためで、災害を乗り越えることが、さらにそのシステムの作用を強めているようにすら思える。風が吹いたって吹かなくたって、大都市はそんな具合に成長していくことをやめないのだろう、そう思った一連のイベントだった。

2016年8月14日日曜日

ロンドンの駅(6):ノッチング・ヒル・ゲート


今回紹介するのロンドンの駅は、ノッチング・ヒル・ゲート(Notting Hill Gate)だ(なぜ、日本語発音なのかは最後までお読みいただければわかると思う)。もちろん、あの人気映画「ノッティングヒルの恋人」(原題:Notting Hill)で有名な街だ。ロンドンの繁華街ウェストエンドから、更に西に数駅行ったところで、閑静な住宅街と小さなカフェや書店が軒を連ねる街だ。

駅の近くにある映画館「コロネット」。「ノッティングヒルの恋人」の
主人公ウィリアムが映画を見るシーンで使われたそうだ
この、ノッティングヒル、映画で有名になる前は、蚤の市こそ有名だけど、カリブ移民の多い西ロンドンのありふれた住宅街だったようだ。だからこそ、映画中で大女優であるアナから告白されたしがない書店主のウィリアムが、「君はビバリーヒルズの住人だけど、僕はノッティングヒルの住人」、つまり住んでいる世界が違い過ぎる、というセリフになる訳だ。ただ、映画のおかげでこの町は人気になり、今ではロンドンでも有数の高級住宅街になってしまったため、最初はこのセリフを聞いてもニュアンスがよくわからなかった。どっちも高級住宅街じゃないか!

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ノッティング・ヒルの名物は、土曜日にポートベッロ・ロードで開催される蚤の市だ。豪華な銀食器から、油絵、清時代の中国陶器といったアンティークを売る店が延々と続き、大勢の観光客でにぎわっている。そのほか、スペイン料理や新鮮な野菜を売る屋台が連なるエリアや、本当のガラクタ市まであって、見ていて飽きない通りだ。

ポートベッロ・ロードの蚤の市

ポートベッロ・ロードの蚤の市

立派な銀食器を見ていると、一皿50ポンドくらい(7,000円くらい)なので、奮発すれば買えないこともないなぁ、と思いつつ、いつもピカピカの状態に保つのは大変そうなので、今回は購入を見送ることにして、通りをさらに進んだ。

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通りを進むと、そこは映画のロケ地の宝庫だ。ポートベッロ・ロードとウェストボーン・パーク・ロードの交差点は、ウィリアムがアナとぶつかってジュースをこぼしてしまう「運命の交差点」だ。交差点でぶつかった二人が運命の恋に落ちるというのは、日本の少女漫画もびっくりのあり得ない展開だとは思うが、そういった不自然さを感じさせないのが、「ノッティングヒルの恋人」のすごいところなのだろう。

リパブリックというカフェが運命の交差点の目印

アナとぶつかって服にジュースをかけてしまったウィリアムは、「ぼくの家はすぐそこだからそこで着替えて」と家に誘う。その、家だが、ほんとうにすぐそこだった。徒歩10秒だ。

ウィリアムのおうちの「青いドア」
この青いドアは、映画が人気になった直後は多くの観光客が押し寄せて、落書きされ放題で大変だったらしい。作中で大勢のゴシップマスコミに囲まれた後は、観光客に囲まれるとは、何とも数奇なドアである。そして、落書きを消すためか、この青いドア、一時期は黒く塗りつぶされていたらしいが、幸いにも、今は青いドアに戻っていたし、写真を撮っている観光客も自分以外にはいなかった。

ウィリアムの家から一本離れた通りに、ウィリアムが書店主をしていた本屋がある。映画の中では旅行書籍専門店だったが、その後別の人の手にわたり、今では普通の本屋さんになっている。映画中、旅行書籍専門店と知ってか知らずか、ディケンズの小説や、プーさんのお話を探しにくる変なお客さんが登場するが、今ならそのお客さんがほしい本も取り扱っているかもしれない。

ウィリアムが書店主をしていた書店

ブループラークもついている

今日は、ノッティングヒルを見て回った後は、ピカデリーサーカスで買い物をして帰ったので最後におまけの写真を一枚。アナがロンドン滞在中に宿泊していた「リッツ」だ。

ピカデリーサーカスの「リッツ」。アナはここに滞在していたという設定だ。
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「ノッティングヒルの恋人」の話になるたびに、いつも高校時代にお世話になった世界史のH先生を思い出す。H先生は、古代メソポタミアやローマ帝国の歴史はそっちのけで、「あなた方はこれから、素晴らしいレディとジェントルマンになっていかなければなりません」、という話を授業のたびごとに力説されていた。

「レディとジェントルマンとは、どういう人たちか。それは『ノッチングヒルの恋人』のあの二人のような男女のことなんです!」と、すでに私が高校生の時には、定年を迎えたあとで嘱託として私達を
教えてくれていた老紳士は、そう力説されていたのだ。当時高校生の自分にとっては、正直、先生の言っていることはよくわからなかった。だから、当時は「ノッティングヒルの恋人」を見ようとも思わなかったし、たぶん見ていたとしても、二人の間の感情の機微などなにも分からなかっただろう。今なら、多少はわかると信じたいものだが。

先生はさらに力説を続ける。「これからのグローバル化社会で、皆さんはどんなレディとジェントルマンにならなければいけないか。それは、『ノッチングヒルの恋人』の二人のように男女の機微を知る人となること、そして、フルコースを食べた後でも、豆腐のように大きいティラミスをぺろりと食べられる体力のある人になることです」。
いささか風変りではあるのだけど、これまでいろいろ聞いてきたどんな意識の高いグローバル人材論よりも的を射たものだと思っている(そんな自分も風変りである、という指摘は受け入れたいと思う)。いずれにせよ、高校生の時は将来ロンドンに住んで本物のノッティングヒルを訪れるとは全然思っていなかったので、何とも感慨深いものだ、とちょっとしんみりした週末だった。

2016年7月29日金曜日

ロンドンの駅(5): Waterloo


Brexit後の騒動やらなんやらもあって、またまたブログの更新が空いてしまったが、初心に帰って久々にロンドンの駅紹介記事を書こうと思う。
今回紹介するのは、Waterloo駅だ。Waterloo駅は、テムズ川の南側にあるターミナル駅で、地下鉄3路線の他、国鉄(National Rail)も乗り入れている巨大駅だ。ビッグベンや大観覧車「ロンドンアイ」からも徒歩圏内にあって、いつも多くの人でにぎわっている。Wikipediaによると、イギリスで最大の乗降客数を誇る駅だが、世界ランキングでは91位だそうだ。


Waterloo駅 National Railのターミナル駅なだけあって広々としている

映画「ゴーストバスターズ」の宣伝で、お化けのモニュメントが出現していた


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Waterloo(ウォータールー)という駅名を初めて聞いた時は、何とも変な感じがした。なぜなら、 "loo" というのはイギリス英語で「トイレ」のことを指すからだ。まるで、昔から水洗トイレでもあったかのような印象を与える地名である。もちろん、この解釈は間違いで、Waterlooの由来はフランス語にある。というのも、フランス語読みでは Waterloo は「ワーテルロー」と読む。あのナポレオンが敗れた最後の戦場に由来するのだ。
今のウォータールー駅の近くに、テムズ川にかかる大きな橋が1817年に開通したのだが、ちょうど数年前のワーテルローの戦いでのイギリス軍の勝利を祝して、ウォータールー橋と命名された、というのが駅名の由来になっているようだ。
ちなみに、ナポレオン戦争の舞台となったワーテルロー自体は、今のベルギーにあって Waterloo は Water(水辺、湿地)+loo(場所、ラテン語のlocusに由来)で「湿った場所」という由来があるようだ。

ウォータールー橋(Wikipediaより)


「ワーテルローの戦い」 オランダ国立博物館(筆者撮影)

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このウォータールー駅は、以前は国際列車ユーロスターが発着する駅でもあった。だが、イギリス国内の新路線の完成やセント・パンクラス駅の新装オープンに伴って、2007年にウォータールーにはユーロスターは止まらなくなってしまった。この、発着駅変更の際のフランス側の宣伝ポスターが傑作である。
というのも、その宣伝ポスター、"Oubliez Waterloo"(ワーテルローのことは忘れろ!)とナポレオンが群衆に向かって演説する絵となっているのだ(残念ながら、著作権フリーの画像を見つけられなかったので、実際のポスターはここで確認してもらいたい)。さすが、長い因縁をもつ英仏である。思わぬところで歴史の因果を感じさせるのが面白い。

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ウォータールー駅を通る地下鉄の一つに、「ベイカールー線」というものがある。ロンドンに詳しい人なら、おそらくこの名前だけからピンとくるだろう。そう、この地下鉄はベイカーストリートとウォータールーをつないでいるのだ。その昔、ベイカールー線は「ベイカーストリート・ウォータールー鉄道」と呼ばれていたらしいのだが、さすがにこの名前は長ったらしかったのか、人々はベイカールー鉄道と呼ぶようになったようだ。
この手の省略は日本人の得意技(鉄道路線名だけでも、東横線や八高線など枚挙にいとまがない)だと思っていたが、イギリスでも似たような例を見つけて何とも新鮮な感じがしたところだ。

2016年7月1日金曜日

ヒックスはイギリス社会を楽観するか


「ミクロ経済学の力」(日本評論社)という、つい最近出た東大の神取先生によるミクロ経済学の教科書がある。標準的なミクロ経済学理論を簡潔かつ深く、しかも数式を最小限に抑えた説明で網羅している名著だ。




ただ、この本の本当にすごいところは、終章「最後に、社会思想(イデオロギー)の話をしよう」にあると個人的には思っている。このことを、今日は少し書きたい。

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経済学者というと、市場経済を信奉していて、規制緩和を是とする立場だと思われているかもしれない。これは、ミクロ経済学で習う最も重要な定理である「厚生経済学の基本定理」の主張が強烈だからだろうと思っている。
規制を撤廃して完全競争状態を作り出し、得する人が損をする人に補償金を払えば、国民全員が得することが出来る(「ミクロ経済学の力」p.461)
という、定理の主張が市場経済を擁護する強力な根拠になっているわけだ。だから、自由なビジネスを妨げる規制を廃止し、関税を廃止していき、国を越えた労働力の自由な動きを認めることは、人々全員が得する方向の変化だ、と言えそうなわけだ。ただ、ここで話は終わらない。
現実にはそうした[得をした人から損をした人への]補償は完全には行われない、あるいはまったく行われないまま、市場はどんどん動いてゆ[く](「ミクロ経済学の力」p.461、[]内は筆者加筆)
からだ。この説明の前に市場の変化の例として、「デジカメが出てきて便利になったけど、町の写真屋さんの多くは店を閉めた」ことが紹介されていた。デジカメの普及で得をした人たちは、職を失った写真屋さんに補償をしただろうか。それはもちろんNOだろう。実際に、知り合いに街の写真屋さんがいた身としては、この手の解説を聞くときにはいつも心が痛む。

神取先生は、実際には市場の変化によって損をする人への補償はほとんど行われないことをどう考えるか、市場と社会正義の関係は、この一点に集約される、といっている。

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次に神取先生は、「補償原理」という考え方を紹介している。
市場に(政策変更や技術革新などで)変化が起こる時、得をする人が損をする人に補償をすることで全員が得をすることが出来るのなら、そのような補償が実際に行われなくても、その変化を認めるべきである。(「ミクロ経済学の力」p.462、太字は原文ママ)
これは、なかなかラディカルな主張だと思う。別にいちいち損する人を補償しなくても、あちこちで、市場の変化が重なっていけば、巡り巡ってみんながちゃんと得をするという考え方だ。スマホが出てきて写真屋さんは損をするけど他の仕事の人は得をする、どこでも酒を買えるようになると酒屋は困るけど(写真屋さんを含めて)他の仕事の人は得をする、貿易自由化で農家の人は損をするけど他の人は安く肉を買えるようになる、そういった変化を積み重ねて、プラスマイナス合わせてみれば、みんな得をする方向に社会は向かっていくだろう、ということだ。
このような、極めて楽観的な考え方を最初に言い出したのは、イギリスのヒックスという経済学者とのことで、「ヒックスの楽観」と呼ばれている考え方だそうだ。
そんな都合のいい話があるのか?勝ち組はもっと勝ち組に、負け組はもっと負け組になる変化だってあるんじゃないか?そういう疑問が出てくるだろう。これに対しては、
どちらが正しいのか、というのは実証の問題です。(「ミクロ経済学の力」p.461)
と、ある意味突き放している。市場経済を推し進めて行ったときに、みんながみんな長い目で見れば得をするかどうかは、理論モデルではわからない、データを見てみるしかない、ということだ。

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神取先生は、実際に補償原理の考え方がうまくいっていた、との立場から、いくつかのデータを紹介している。

一つ目は「クズネッツ曲線」と呼ばれるグラフだ。これは、縦軸に格差の大きさ(富裕層がどれだけの富を独占しているか)、横軸に国民の平均所得(平均的な豊かさ)を取ったグラフだ。教科書で紹介されているグラフは逆U字になっている。つまり、国が貧しい状態から成長していくといったん格差は拡大するが、そこからさらに成長していくと格差は逆に縮小していく、ことを意味する。経済成長で勝ち組が総取りしていたら、こういうグラフにはならない、だから補償原理の考え方は問題がない、という主張だ。

二つ目は「世代を超えた」分析だ。補償原理は1世代の中では十分に働かないかもしれない。神取先生が言うように、
デジカメのおかげで家業がダメになった写真屋さんは、生涯「デジカメが出来る前の方がよかった」と思い続けるかもしれません。そこで、自分の子供たちに市場の成果がどの程度いきわたるかを見ていきましょう。(「ミクロ経済学の力」p.467)
というわけだ。神取先生が紹介している研究によると、自分の職業が農家であれ写真屋であれサラリーマンであれ、孫かひ孫まで下れば、自分の職業とは関係なく、その時社会で必要とされている職業についていることが示されている。だから、自分の子孫のことを思うなら、社会全体がより豊かになる変化は受け入れるべきだ、と主張できるわけだ。

これらの具体的研究を引いたうえで、神取先生は次のようにまとめている。
社会正義を考える一番のカギは、「補償原理を一笑に付すのではなく、正面からこれをどう判断するか」という、まさにその1点に集約されると私は考えます(「ミクロ経済学の力」p.470-71)
補償は不十分にしかできません。では、どうしたらよいでしょうか?これが、我々に突き付けられている思想的課題です。「正しい答え」というのはありません。みなさん、一人ひとりでしっかり考えてみてください。(「ミクロ経済学の力」p.471)
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ヒックスが活躍したのは第二次大戦前から戦後の時代にかけてだ。もし、ヒックスが今のイギリスに生きていたら、果たしてどれだけ楽観主義者たり得たのだろうか、と考える。

グローバル化、特に貿易の自由化や労働力の自由な移動を認めることは、それによって恩恵を受ける人と割を食う人を確実に生み出す。そして、今回のイギリスの決断は、割を食った側の人間からの拒否表示という側面があるといえる(離脱派の主張の妥当性自体はここではおいておく)。
一方で、今回の結果を、主に経済パフォーマンスの面から盛んに非難する人が多い。そういった人たちは、おそらく「補償原理」に対して全幅の信頼を置いている人たちなのだろう。それ自体は、まっとうな、そして主流の考え方だし、上の神取先生の解説にある通り、20世紀後半では実際にうまく働いてきたことを多くの実証研究は示していそうだ。だが、神取先生自身が指摘するように、補償原理をどれだけ信頼するかは、人々の価値観によるものだし、同時に、きわめて実証的な問題でもある。

上で紹介した「クズネッツ曲線」は、数年前に話題になったピケティの著書が反論しようとしている対象そのものだ。事実、ピケティは序章で「クズネッツ曲線の理論は間違って理屈付けされている(Kuzunets curve theory was formulated in large part for the wrong reasons)」と否定している。それと同時に、「クズネッツが1953年の著書で示したデータは、突如として強力な政治的武器となった(The data Kuzunets had presented in his 1953 book suddenly became a powerful political weapon)」こと、「クズネッツ曲線の理論は、冷戦の産物である(the theory of the Kuzunets curve was a product of the Cold War)」とも主張している。
私は格差研究の分野は全く知らないので、神取先生とピケティ、どちらの主張がよりもっともらしいのかはわからない。ただ、実証分析は、手元にあるデータで行うしかないし、思想的な背景が容易に入り込んでしまう部分もある、ということに注意を払う必要がある、ということは間違いなさそうだ。

民主主義的に投票で物事を決めようとするときに、投票者は自分の子孫のことまで考えて投票行動を決める義理はない(もちろんそうしてもいいし、若い世代としてはそういう人が増えてほしいとは思うが)。国民投票のような形で、重大な意思決定をしてしまうと、本来ならうまく働いているはずの「世代を超えた補償原理」をみすみす止めてしまう可能性がある。だが、これは民主主義をどこまで尊重するか、という別の社会正義に関する価値判断が入り込むので、なかなか簡単な答えはないだろう。

そして、神取先生が挙げていた「世代を超えた補償原理」が効果的に働くためには、労働者の階層移動が十分に行われる必要があるだろう。逆に言えば、教育に十分な金をかけてもらえた子どもたちだけが、富を築くチャンスをつかみ取ることしかできない状況なら、「世代を超えた補償原理」に対する社会の信頼感は弱まるだろう。カメラ屋の息子がサラリーマンになれる社会なら問題はない。だが、グローバル化から取り残された労働者の子どもたちが、十分な教育を受けられずに、グローバル化の果実をほしいままにする層を横目で見ることしかできない、という絶望があったらどうなるだろうか。

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神取先生は、終章をアルフレッド・マーシャルによる有名な「冷静な頭脳と暖かい心(cool heads but warm hearts)」のエピソードで締めくくっている。衝撃的な投票結果から1週間、イギリス社会は未だに揺れ続けている。成熟した民主主義の大国として、そして、大経済学者マーシャルを生んだ国として、冷静に物事を受け止めつつ、今回の混乱で困っている人に暖かい心を向ける余力を、早く取り戻してほしい、と願うばかりだ。



2016年6月29日水曜日

フィリッピーノ・リッピ展


今日も世の中はあわただしい一日だった。
最大野党の労働党はコービン党首を追い落とすべく内紛状態にあり、キャメロン首相に「頼むから辞めてくれ」といわれる始末だ。一方で、保守党内でも激しい次期首相候補争いが始まっている。なんだかんだ言われつつ、本命はボリス・ジョンソンなのだが、ABB(Anybody But Boris、ボリス以外の誰か)陣営は、メイ内相でまとまりつつある。また、EU残留をもくろむスコットランド国民党のスタージョン党首がEUの首脳と会談したと思えば、独立志向の強いカタルーニャ地方を抱えるスペインのラホイ(暫定)首相が牽制する。イタリアでは、Brexit後の市場の混乱で銀行経営に対する不安感が高まっておりレンツィ首相は救済を検討しているが、ドイツのショイブレ財務相は安易な救済にくぎを刺している。
イギリス政界の党内事情からEU諸国間の微妙な関係まで、あらゆるレベルでアクの強い役者たちが動いている。これが、100年か200年後に読む、歴史小説の一節ならどれだけよかっただろうと思うが、現実は現実だ。それに、この小説はまだまだ長い続きがあって、結末は誰も知らない。

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あまり、ニュースばかり見ていても詮無いので、久々に美術館に行ってきた。
その美術館では、フィリッピーノ・リッピと呼ばれる、15世紀後半、イタリア・ルネッサンス期の画家の企画展が開催されていた。なかでも、銀筆(silverpoint)と呼ばれる、銀製のとがった筆で特殊なコーティングを施した板に書かれた習作が見ものだった。この銀筆で書かれた絵は、耐久性は高いが、硬い板を固い筆でがりがりやりながら描くものなので、グラデーションをつけたり、複雑な表現をするのは難しかったようだ。それでも、さすがフィリッピーノ・リッピ、非常に緻密で表現力の高い作品が展示されていた。しかし、なんでこんな面倒な技法で習作を書いていたのだろうか。

この銀筆は、紙が工業製品として生産されるようになるまで、画家が習作などを書くときの主要な技法だったようだ。展示の解説によると、イタリアにヨーロッパ初の製紙工場が出来たのが1490年とのことだ。フィリッピーノ・リッピは最後の銀筆世代と言える。リッピより後の世代は、紙に鉛筆を使ってスケッチ・習作を気軽に書くことが出来るようになっていったのだろう。そして、この技術進歩は、画家がどのように修練を積んでいくかに影響を与え、ひいては絵画技法の変化にも大きな影響を与えていっただろう。

紙が工業的に生産されるのはある程度時代が下ってからのこと、というのは、言われてみれば当たり前だ。だが、素人美術ファンがルネッサンス期の絵画をただ見ているだけの時に、この事実を意識するのは難しい。言い換えれば、ルネッサンス期の画家たちが「どのように修業を積んで、どのように作品を作り上げていったか」を、現代人として自分が持っている画家のイメージから切り離して想像するのは、専門家でもなければなかなか難しい。

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Brexitが決まった先週金曜日、面白いツイートを見かけた。



まあ、ここまであからさまなら、おかしいと気づくので問題はない。ただ、過去の人々の営為を見るときに、上のツイートレベルの勘違いをしていないとも限らない。だから、100年後にいま世界で起きている騒動が歴史小説となったら(おそらくなるだろう)、おかしな解釈の部分もあるだろう。一方で、過去の歴史を振り返るような冷静な目で、目の前で起こっていることを受け止められないのも事実だ。いずれにせよ、世の中が落ち着くまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。

2016年6月25日土曜日

続き(1)


(承前)

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ネット記事やSNSを眺めている限り、特に日本語で書かれた論評では、英国のEU離脱について「愚かなことをしてくれた」という評価が大半を占めている。なぜ愚かな決断だと思うかは、それらの論評を見る限り、次の2つにまとめられるだろう。

1.経済合理性のない判断だから
2.ヨーロッパの統合・人の移動の自由という、リベラルな考え方を逆転させる判断だから


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経済的な面から言えば、英国経済全体としてみれば、短期的にも長期的にも打撃を受けることがほぼ確実だ。これは、残留派が英国財務省の試算で見せていたことだし、イングランド銀行やIMFなども共通して示していることだ。もう少し、ブレークダウンすると、下記の点が具体的な経済下押し圧力といわれることが多い。

・EUの単一市場から抜けることで、貿易のコストがかかる(関税がかかる、輸出入の手続きが煩雑化する)、非関税障壁が高まる(EUと英国で法制度が異なると、対応コストが高まる等)。ただし、この点がどうなるかは、今後EUとどのような貿易協定を結ぶか次第だ。
・英国の主要産業・金融業について、金融センターとしてのロンドン・シティの求心力が弱まる。すでに、JPモルガンやHSBCなどが、フランクフルトやパリへの人員移転の検討に入っているようだ。だが、こうした移転の動きが実際にどのタイミングで、どのくらいの規模で起きるかについては、「ほとんどない」、から「破滅的な影響」、まで幅広いコメントがあり、意見の一致が見られていない。
・急激なポンド安により、輸入物価インフレが起き、国内消費が低迷する。これはおそらく早晩起きるだろう。少なくとも、今年のイギリス人の地中海へのバカンスは2~3割は高くつくことが確定してしまっている。
・一つだけ確実なのは、以上で上げた点が、どれだけ影響を与えるのか見通せないこと。そして、この不確実性が経済活動を委縮させることだ。

残留派は、これらの要因の影響がそれぞれ大きく、1世帯当たり数十万円以上のコストだ!と運動を展開してきたが、功を奏さなかった。

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上でふれた経済的悪影響の内容には全く異論がないし、残留/離脱を判断する際に必ず考慮しなければいけない点であることにも異論はない。実際、自分に投票権があったとしたら、この経済的観点だけで残留に投票していただろう。
ただ、多くの論評で忘れられている点が少なくとも2つあることには違和感がある。その二つとは、(1)経済的問題だけで投票行動が決まる訳ではないし、決めるべきでもないこと、(2)経済合理性の尺度として人々の念頭にあるものが、基本的にはGDPに代表されるような集計値だ、という自覚がないことだ。もしくは、GDPレベルで成長するなら、再配分を通して低所得層も得をできる、という仮定を暗黙にしていることだ。

(1)経済的問題以外の要因は、「リベラルな考え方の逆転」という論点とも絡むので、後に回す。ここでは、経済合理性の尺度について書きたい。

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個々人の投票者は、基本的には自分の利害を念頭に投票する。言い換えれば、個々人の投票者が比較するのは、残留/離脱時のGDPの違いではなく、自分自身が受けられそうな便益の違いなのだ。極論でいえば、「国全体がどうかは知ったこっちゃない。自分の食い扶持の方がよっぽど大事だ」と考える人々がいることはおかしなことではないし、そういう人たちが、近視眼的で扇情的な活動に影響される傾向が強そうだ、ということも同意する。そういう人たちによるノイズを減らすために、間接民主主義が発達し、官僚・専門家集団による行政の運営が発達したのだろうが、narrow minded な人間の意見はあらゆる面で無視するべき、というのは民主主義の否定だ。

だから、「離脱したらGDPがものすごく減る」、といったところで、「移民のせいで自分は割を食った」、「グローバル化した世の中のせいで自分は生き辛くなった」と思っている人々には、はっきり言って刺さらないだろう。もっとも、こういう人たちに対しては「自分では割を食った感じるかもしれないが、EU加盟で英国経済は豊かになっており、君たちも色々な再配分を受けられて、結果的にはプラスだった」との反論が出てくる。成長すれば多少格差が広がっても、トリクルダウンがあるのだ、という考え方だ。離脱によって、むしろしわ寄せが離脱派によることはもちろん大いにあり得る。だが、説得的にEU残留によるトリクルダウンをアピールできなかった点で、残留派が離脱派に示すべきものを示せなかった、ということではないだろうか。重要な再配分政策の一つである公営医療の現場で、「移民のせいでいつも病院が混んでいる」という実感を持っている人たち取ってはなおさら、残留派の試算は響かなかっただろう。その点、EUに主権が制限されている、という離脱派の主張は、再配分のやり方までEU官僚にがんじがらめにされている、という印象に結びつきやすく、非常に効果的だったのだろう。

4月にとあるシンポジウムで、ある経済学者による、EU離脱の経済的コストの試算に関するセミナーを聞いた。彼女は、「EU離脱は移民による労働力の柔軟な移動・調整を阻害し、労働市場を非効率にする。そして、このコストはGDP比で見ると非常に大きい」という説明をしていた。この主張は正し過ぎるほど、正しい。だが、こういうロジックに基づいた経済的試算で離脱派を説得しようとするのは無理があるのではないか、と同時に不安になった。まさか、その時の不安が現実のものになるとは、その時には思わなかったが、思い返せば4月頃から残留側が経済的コストを強調し始めたころから雰囲気がおかしくなってきたことに今気づいて愕然としている。

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イギリスに限らず、アメリカでも大陸欧州でも、そして日本でも、「グローバル化で割を食っている」という層が台頭してきている。これだけ、様々な政治体制・経済政策をとる国が共通した問題に直面している中で、「移民のせいじゃない、EUに残った方がいい。グローバル化の流れは悪くない」という命題が「動かない真実」だ、離脱派は「わからずやの愚か者だ」、と言い切るだけの、理論的・学術的証拠を自分は持ち合わせていない。むしろ、この命題の答えは、これからの世界が多いな代償を払いつつ決めることなのだろうと思うと、引き続き暗い気持ちになる。

「中間層が困窮している原因はEUにある訳ではない。EUに問題をすり替えるボリス・ジョンソンやナイジェル・ファラージュは稀代の詐欺師だ。離脱派は騙された愚か者たちだ」。今日も、ニュースやSNSをこういった言葉が埋め尽くした。こうした指摘は大きな真実を含んでいるだろうが、一方でEUが原因でないとすれば、他に中間層をリスクの高い選択肢に走らせた原因がある、というだけだ(ジョンソンやファラージュは、あくまで現象であって原因ではないと思う)。強い言葉は発する人も害する。強い言葉を投げつけるべき、本当の原因が何なのか整理がついていない自分にとっては、今日も気持ちをやさぐれされる一日だった。

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もちろん、離脱派の「これまで割を食ってきたから離脱」という判断にも問題はある。人間の限られた判断力では、意思決定が過去の経験に大きく影響されてしまうのはやむを得ないとはいえ、本当に大事なのは「将来どうやっていけばハッピーになれるのか」だ。難しい言葉でいえば、こういう意思決定はフォワード・ルッキングであるべきなのだ。だから、キャメロン首相は危険な賭けでEUを揺さぶって、将来を改善させようとしたのだろう。
EU離脱が人々を不安にさせているのは、離脱派の政治家たち、そして英国の議会政治が、この厄介な英国の将来をハンドルするだけのビジョンと能力を持っているかに、深い不信があるからだろう。もちろん、ヒビを入れられたEU諸国側の対処能力にも大きな不安がある(だからこそ、イギリス以上に大陸欧州の株価が下がったのだろう)。だからこそ、すでに、離脱に投票したことを後悔している人たちが多数出てきているようだ。そして、スコットランドやロンドンは、こんな奴らとはやっていけないと公然に主張し始めている。それでも、腹をくくって最善の道を探すしかないだろう。残留派/離脱派の論争を聞いていると、それぞれもう決まり切った2つの未来の選択のように錯覚しそうになるが、本当はそんなことはない。未来は、大きな困難を伴いながらも、これから作っていくものだ。

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先日、テート・モダンと呼ばれるロンドン最大の現代美術館の新館がオープンした(ちなみに、オープニングイベントはユニクロが協賛している)。
http://www.tate.org.uk/whats-on/tate-modern/special-event/new-tate-modern-opening-weekend
その、オープニングイベントの中で、テート・モダンをモチーフにした現代音楽を、地元の合唱団員500人がパフォーマンスする、というイベントがあった。そして、その中に、The Future (未来)という曲があった。

The Future:
It's not what we know, It's what, we think it will be
(拙訳)未来:それは私たちが知っていることではない。それは、私たちがそうなるであろう、と思うことだ。

作曲者によると、この曲は、ひどい目にあった自分の大切な人に向かって、優しく語り掛ける曲、
とのことだ。日本には、「これからリーマンショック級の事態が起きうる」、と予言した人がいたとかいないとか話題になっているようだが、この作曲者は別にそういう予言者とかではないと思う。

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(たぶん続く)

長い一日を終えて


長い一日が終わろうとしている(むしろ記事を書いているうちに日付が変わってしまった)。いつもは、夜更かし朝寝坊が常の夜型人間だが、今日ばかりは朝の6時過ぎに起きた。そして、目の前で起きていることに衝撃を受けて、眠気は一瞬でさめた。ポンド円は寝る時に見たレートから20円ほど下がっていたし、離脱派の勝利はもう動かないものになっていた。

「外国人」としてこの国に住んでいる以上、そしてEUからの移民に対する反感が大きな影響を与えてた結果である以上、この結果はもちろん残念だ。それに、英国や世界の政治経済が抱え込む途方の無い不透明性・リスクの大きさにも立ちすくむばかりだ。

これまで、残留派・離脱派の間で虚実入り混じった応酬、すさまじい誹謗中傷合戦が繰り広げられてきたのは事実だが、一方で離脱という答えは3000万人を超える英国の投票者が示した意思だ。今後、どれだけ離脱による悪影響が広がるのか、一方で離脱派が主張するようなメリットがどれだけ生まれるのか、またカウンターパートであるEU諸国がいかに状況を好転できるかは、英国とEUとの今後の建設的な議論・交渉にかかっている。10月までに退陣するキャメロン首相を継ぐ人物がだれなのかは、現時点では混沌としている。ただ、離脱派のリーダーにして有力後継首相候補であるボリス・ジョンソン前ロンドン市長に贈る言葉は、やはり以下のようなものだろう。



(フランス紙リベラシオン。写真中の人物がボリス・ジョンソン氏)

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これは日本のメディアでも報道されていると思うが、残留派は、「都市部」・「若者」・「高学歴・高収入」なほど割合が高い。イギリス、特にロンドンの大学はEU出身の教員や留学生が圧倒的に多い(一番多いのは中国人のことも多いが…)。当然、彼らEU出身の人々は(投票権がないとはいえ)残留派だし、そういうコミュニティに所属している人間も自然と残留派が主流となる(自分自身、今度イタリア人の同級生に会う時に、何と声をかけていいのかわからない)。だから、都市部で大学が多く、高学歴・高収入層が多いロンドンを筆頭とした都市部は残留派が勝利する結果となる。

ただ、なぜこういった属性の人たちが残留派となるのか。若者は、生まれたときからEUに加盟しているイギリスしか知らないし、実際にEU出身の人々と交流する機会が多いからだろう。一方で、都市部・高学歴・高収入層が残留派になびくのは、彼らがEU加盟による最大の受益者だからだ。その対極にいるのが、地方でいわゆるブルーカラーの職についていて(過去形かもしれない)英国外から来た人との接触が少ない人々、典型的な離脱派像だ。

今回の結果を、「地方の叛乱」と表現した記事があった。直接は書いていないが、地方の低所得・低学歴層が、経済的合理性を無視して、排他的な感情から非合理的な判断をした、とのニュアンスが伝わってくる。もちろん、こうした動きをポピュリズムという言葉でくくる言説は山ほどある。これは一面としては正しい表現なのだろう。どう控えめに言っても、今日、イギリスは国全体としてみれば、確実に分の悪い(しかもかなり悪い)判断をした。ただ、民主主義体制の中で票数としては多数を占める層を、上で挙げたような、ある意味で非常に失礼な表現でくくってきたインテリ層の言動が敗因となった可能性を考えていかなければいけないだろう。

同世代の、特に大学関連の友人知人はほぼ全員が残留派であるため、SNSのタイムラインは非常に沈鬱かつ攻撃的な一日だった。そして、何よりも心をやさぐれさせたのは、EU出身の友人知人たちが、こぞって「離脱派くそくらえ」、「EU離脱した、イギリス死ね」といったような声をあげていたことだ。おそらく、イギリスのEU加盟における最大の受益者の一人である彼らが、あくまでも英国の国民が民主的に示した意思(それは少なくとも、選挙の投票数ベースでは、EU加盟によって自分は受益者になれなかったと「思っている」人の方が多いことを意味する)に対して、そのような汚い声を投げつけることには、なんともいえない違和感を覚える。
EU離脱は決まったが、別に断交するわけではない。新しい、首相のリーダーシップの下で建設的な英国とEUの新しい関係が結ばれるために、何ができるかを考えるべきだと思う。

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近所のバス停の落書き
今日は、酒でも飲まなきゃやってられない、ということで、近所の The Perseverance (忍耐)という名のパブに行ってきた。パブなのに、忍耐、という名前はどうなのかと思うが、これからのイギリスを形容するにはぴったりの名前だろう。
その帰り道で、上の写真のように、バス停に落書きされているのを見つけた。やや記憶が定かではないが、おそらく今日書かれたものだと思う。残留派が怒りに任せて、Remain(残留)、Unity(団結)と書き込んだのだろう。
ただ、一連の動きを見る限り Remain=Unityとなるほど、この世の中は単純ではない。グローバル化による社会・経済の統合は、一方で国内の格差を広げ国内社会をunityから程遠いものにしてしまっている。
このような矛盾は、「偏狭な考えを持つ離脱派」(や米国でいえばトランプ支持層)のせいなのかもしれないし、格差を緩和できない政治家のせいかもしれないし、長期停滞ともささやかれる今の世界経済が共通して抱える宿痾なのかもしれない。ただ、私個人としてはまだこの点には答えを持てないでいる。


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今日の朝8時過ぎ、残留派敗北を受けてキャメロン首相は会見を開き、10月の保守党大会までに退陣することを表明した。昨夜、「投票結果がどうであれ、首相続投すべし」という嘆願書が80人程度の国会議員から出されていたにもかかわらず、だ(しかも、ボリス・ジョンソンも名前を連ねていたそうだ)。潔い進退表明だったといえる。
ただ、キャメロン首相はあと数ヶ月は首相の座にとどまる。金融市場に破局的な影響を与えないため、これだけ大きく割れてしまった社会に応急処置を与えるため、そして後継首相選びがもめて時間がかかるだろう、といった名分はあるだろうが、日本の感覚からすれば長らく居残るものだな、と思う(リオ五輪まで、と粘り腰だった某知事も、追い込まれてからは早かったこともあり、なおさらそう思う)。少なくとも最低限の尻拭いをする覚悟が政治家にあり、それを許容する度量が議会と国民にあることには、彼我の差を感じずにはいられない。

今朝のキャメロン首相のスピーチの中で、印象に残ったのは、彼らしい朴訥とした語り口で発した次の言葉だった。

I fought this campaign in the only way I know how, which is to say directly and passionately what I think and feel - head, heart and soul.
(拙訳:私は、今回の選挙戦を、自分が出来る唯一のやり方で戦った。私の頭、心、そして魂で何を感じ考えたかを、直接にそして情熱的に語る、という方法だ。)

確かに、キャメロン首相は、自身が表現するように全力で選挙戦を戦い抜いたと思うし、引き際も信念が通ったものだったと思う。少なくとも、選挙結果が明らかになってから、コービン党首の不信任動議を出す労働党や、昨日の夜は、負けたかも、と弱気になっておきながら、結果が出てから「今日が独立記念日だ―」と浮かれているUKIP(英国独立党)のファラージュ党首よりは、よほど筋を通した。

ただ、キャメロン首相への評価は、離脱後の英国がたどる運命とともに歴史が決めることになるだろう。離脱はないだろうと高をくくって、賭け金を引き上げてEUを揺さぶろうとしたのは、他でもないキャメロン首相だったのだから。この点、日経新聞の春秋で、一緒にするつもりはないが、と前置きされながらも、「重大な問題はしばしば国民投票にかけられ」たのが、ナチスドイツだったと論評されているのが印象的だ。民主主義である以上、国民投票はある意味で最高の意思決定手段なのだろうが、安易にこの手法に頼るのは政治家としてかなりリスキーな行為であることが見せつけられたのが今回の出来事だろう。日本も参院選の結果次第では、憲法改正の国民投票が視野に入ってくる状況では、他人事とは言えない。





ところで、ツイッターでは、早速さまざまなネタ画像が出回っている。上は、かの有名な戦前の国際連盟から「我が代表堂々退場す」の新聞記事をもじったものだ。この、国際連盟からの日本脱退について、東大の加藤陽子教授が「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」の中で次のように書いている。

強硬に見せておいて相手が妥協してくるのを待って、脱退せずにうまくやろうとしていた内田外相だったわけですが、…(中略)…除名や経済制裁を受けるよりは、先に自ら連盟を脱退してしまえ、このような考えの連鎖で、日本の態度は決定されたのです。(「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」 P.312) 
戦前の日本と今のイギリスを重ねるのは、余りにも乱暴だが、キャメロン首相の歴史的評価も、いずれこのような文脈で語られる日が来るのかもしれない。

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長くなったので、続きはまた