2016年3月15日火曜日

アイラ島旅行記(3):ブルックラディ蒸留所と設備投資の難しさ


アイラ島旅行で二つ目の蒸留所は、ブルックラディ(Bruichladdich)蒸留所を訪れた。ボウモアのバス停からバスに揺られること30分ほどで、蒸留所前のバス停に到着。ボウモアの湾をぐるっと回りこんできたこともあって、湾の向こうにボウモアの集落が見える。全く英語っぽくない響きからわかる通り、Bruichladdich もゲール語由来の言葉で、「石でごつごつした海岸」といった感じの意味らしい。

蒸留所前から対岸のボウモア地区を望む
近くの桟橋から見た蒸留所。

ブルックラディ蒸留所は、白壁に黒文字で書かれた壁がない代わりに、樽を並べたなかなかかわいらしいモニュメント?があった。樽の地の色や、ビジターセンターの文字などは、すべて緑色に統一されている。この色は、2001年の5月にこの蒸留所が操業を再開した日の、目の前の湾の色だった、とのことだ。1994年に蒸留所がいったん閉まってから、操業再開までの間には、多くの人の大きな努力があったとのことだ。それらの人たちにとって、再操業初日に緑色に美しく染まった湾の景色は、何よりも心に残ったに違いない。

蒸留所入り口で名前をあしらった樽がお出迎え

ブルックラディは、ラディ―(Laddie)という愛称で親しまれている
再操業後、機械をブルックラディ色に塗りなおしたらしい

蒸留所前の海。3月の海は、まだまだ寒々とした青だ

ブルックラディ蒸留所は、アイラ島で2番目に小さい蒸留所で、島内でビン詰めを行っている唯一の蒸留所だ。そのためかはわからないが、色々と独特でとがったラインナップを持っている、という印象だった。例えば、オクトモア(Octomore)というブランドは、"super-heavily peated"と説明がつけられており、ものの話では世界で最もピートが強いウィスキーだそうだ。ウィスキーのピートの強さは、ppmという単位ではかるそうで、ピート臭いアイラウィスキーの代表であるラフロイグでも30~40ppmくらいだが、オクトモアは200ppmを越えるというから、想像しただけでピート臭さが伝わるだろう。糖分を抽出した大麦は、島内の牛や羊のエサになるのだが、牧場主の多くは動物たちが臭くなるから、といってオクトモアに使った大麦カスの引き取りを拒否するらしい。
その他、"Botanist" という名前の、おしゃれなジンも販売していたりと、売店をいくら見ていても飽きないラインナップだった。

ブルックラディで使われる3種類の大麦。右のオクトモア用大麦からは、強烈なピート臭がしてくる。

ブルックラディ蒸留所の特徴は、そのレトロな生産設備にあるだろう。乾燥大麦を粉砕する機械はスコットランド全土を見渡しても珍しい木製のものがいまだに使われている。



木製のレトロな生産設備

そして、大麦にお湯を注いで糖分を抽出する桶である "mash tun" も非常に特徴的だ。この mash tun は、他の蒸留所のものと違って蓋がない(スコットランド全土でも片手で数えられるほどしか残っていないそうだ)。細かい説明を聞き漏らしてしまったが、法律だか規制が変わったか何だかで、ある時代以降の mash tun は必ず蓋がついていなければいけなくなったためだそうだ。ブルックラディは、この mash tun を1881年の操業開始当社から使い続けているそうで、伝統的製造装置にこだわるブルックラディの象徴になっているようだ。

Mash tun を上から撮影。蓋がない(photograph: courtesy of S.H.)
http://goo.gl/NsQJ3J

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シングルモルト・ウィスキーづくりは、他の酒類製造に比べても特に資本力ものをいう分野だ。蒸留設備への投資が必要なのはもちろん、少なくとも10年程度は文字通り在庫を「寝かせる」必要がある。しかも、樽詰めしたときには、それが出荷されるであろう10年以上先の需要動向を予想するのは非常に難しい。それに、もちろん、多額のブランディング費用もかかる。
そのためか、家族経営から出発したアイラの蒸留所も、ほとんどがディアジオやビーム・サントリー、MHLVといった蒸留酒業界の超巨大企業に所有されるに至っている(ブルックラディ自体も、今はレミーマルタンが所有している)。ボウモアにしても、カリラにしても、こうした巨大企業の下で、伝統的製法へのこだわりは一部残しつつも、基本的には製造工程の機械化・IT化を進めている。この流れの中で、雇用が減り、昔ほどとがった製品が出てきづらくなることを残念に思う声もきかれる。

一方で、ブルックラディは、幸か不幸かこのような機械化・合理化の流れから隔たれたところにいたようだ。ツアーガイドのお兄さんによると「20世紀の中ごろ以降、何度も所有者が変わったけど、みんな目先のことしか考えていなくて、設備投資をしようとはだれも思わなかったんだ」と言っていた。もし、その当時、腰の据わった所有者がいて、大々的な設備投資をしていたら、ブルックラディはもっと大きく有名な、でももう少しつまらない蒸留所になって、1990年代の閉鎖を回避できていたのかもしれない。

ともかく、一周回って、伝統的な装置にこだわり続けることが、かえってブルックラディの強みであり面白さになっているのが何とも興味深いところだ。こうした差別化を可能にするくらいに、広がりと深みを持っているところが、さすがアイラ島のウィスキー産業、ということなのだろう。


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