今回紹介するのロンドンの駅は、ノッチング・ヒル・ゲート(Notting Hill Gate)だ(なぜ、日本語発音なのかは最後までお読みいただければわかると思う)。もちろん、あの人気映画「ノッティングヒルの恋人」(原題:Notting Hill)で有名な街だ。ロンドンの繁華街ウェストエンドから、更に西に数駅行ったところで、閑静な住宅街と小さなカフェや書店が軒を連ねる街だ。
駅の近くにある映画館「コロネット」。「ノッティングヒルの恋人」の 主人公ウィリアムが映画を見るシーンで使われたそうだ |
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ノッティング・ヒルの名物は、土曜日にポートベッロ・ロードで開催される蚤の市だ。豪華な銀食器から、油絵、清時代の中国陶器といったアンティークを売る店が延々と続き、大勢の観光客でにぎわっている。そのほか、スペイン料理や新鮮な野菜を売る屋台が連なるエリアや、本当のガラクタ市まであって、見ていて飽きない通りだ。
ポートベッロ・ロードの蚤の市 |
ポートベッロ・ロードの蚤の市 |
立派な銀食器を見ていると、一皿50ポンドくらい(7,000円くらい)なので、奮発すれば買えないこともないなぁ、と思いつつ、いつもピカピカの状態に保つのは大変そうなので、今回は購入を見送ることにして、通りをさらに進んだ。
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通りを進むと、そこは映画のロケ地の宝庫だ。ポートベッロ・ロードとウェストボーン・パーク・ロードの交差点は、ウィリアムがアナとぶつかってジュースをこぼしてしまう「運命の交差点」だ。交差点でぶつかった二人が運命の恋に落ちるというのは、日本の少女漫画もびっくりのあり得ない展開だとは思うが、そういった不自然さを感じさせないのが、「ノッティングヒルの恋人」のすごいところなのだろう。
リパブリックというカフェが運命の交差点の目印 |
アナとぶつかって服にジュースをかけてしまったウィリアムは、「ぼくの家はすぐそこだからそこで着替えて」と家に誘う。その、家だが、ほんとうにすぐそこだった。徒歩10秒だ。
ウィリアムのおうちの「青いドア」 |
この青いドアは、映画が人気になった直後は多くの観光客が押し寄せて、落書きされ放題で大変だったらしい。作中で大勢のゴシップマスコミに囲まれた後は、観光客に囲まれるとは、何とも数奇なドアである。そして、落書きを消すためか、この青いドア、一時期は黒く塗りつぶされていたらしいが、幸いにも、今は青いドアに戻っていたし、写真を撮っている観光客も自分以外にはいなかった。
ウィリアムの家から一本離れた通りに、ウィリアムが書店主をしていた本屋がある。映画の中では旅行書籍専門店だったが、その後別の人の手にわたり、今では普通の本屋さんになっている。映画中、旅行書籍専門店と知ってか知らずか、ディケンズの小説や、プーさんのお話を探しにくる変なお客さんが登場するが、今ならそのお客さんがほしい本も取り扱っているかもしれない。
ウィリアムが書店主をしていた書店 |
ブループラークもついている |
今日は、ノッティングヒルを見て回った後は、ピカデリーサーカスで買い物をして帰ったので最後におまけの写真を一枚。アナがロンドン滞在中に宿泊していた「リッツ」だ。
ピカデリーサーカスの「リッツ」。アナはここに滞在していたという設定だ。 |
「ノッティングヒルの恋人」の話になるたびに、いつも高校時代にお世話になった世界史のH先生を思い出す。H先生は、古代メソポタミアやローマ帝国の歴史はそっちのけで、「あなた方はこれから、素晴らしいレディとジェントルマンになっていかなければなりません」、という話を授業のたびごとに力説されていた。
「レディとジェントルマンとは、どういう人たちか。それは『ノッチングヒルの恋人』のあの二人のような男女のことなんです!」と、すでに私が高校生の時には、定年を迎えたあとで嘱託として私達を
教えてくれていた老紳士は、そう力説されていたのだ。当時高校生の自分にとっては、正直、先生の言っていることはよくわからなかった。だから、当時は「ノッティングヒルの恋人」を見ようとも思わなかったし、たぶん見ていたとしても、二人の間の感情の機微などなにも分からなかっただろう。今なら、多少はわかると信じたいものだが。
先生はさらに力説を続ける。「これからのグローバル化社会で、皆さんはどんなレディとジェントルマンにならなければいけないか。それは、『ノッチングヒルの恋人』の二人のように男女の機微を知る人となること、そして、フルコースを食べた後でも、豆腐のように大きいティラミスをぺろりと食べられる体力のある人になることです」。
いささか風変りではあるのだけど、これまでいろいろ聞いてきたどんな意識の高いグローバル人材論よりも的を射たものだと思っている(そんな自分も風変りである、という指摘は受け入れたいと思う)。いずれにせよ、高校生の時は将来ロンドンに住んで本物のノッティングヒルを訪れるとは全然思っていなかったので、何とも感慨深いものだ、とちょっとしんみりした週末だった。