2016年9月5日月曜日

ローマ帝国の崩壊・1666年のロンドン大火・クリスマスのハロッズ侵入・そして強風世界


我が家の最寄り駅の一つ隣に Barbican という駅があって、そこから歩いてすぐの所に、Museum of London という博物館がある。名前の通り、ロンドンという街そのものをテーマにした博物館だ。先史時代から現代に至る様々な展示品が並んでいて、なかなか見ごたえのある博物館だ。

「ロンドン」という地名は、ローマ帝国時代の植民地「ロンディニウム」から来ている。テムズ川ほとりのロンディニウムは、ローマ帝国ブリタニカ交易の中心地だったそうだ。もっとも、当時のブリタニアは文明の先進地ローマ本国からの輸入品に頼る一方で、主要な輸出品は牡蠣だったらしいが…
さらにさかのぼって「ロンディニウム」の語源はというと、これはよくわかっていないそうだ。ケルト原住民の言葉で「湖の要塞」という意味があるだとか、非ケルト系(印欧系)語源で、「早く流れる川」という意味があるだとか、諸説提案されている状況のようだ。いずれにせよ、テムズ川に由来して名付けられたのは間違いなさそうだが…

ローマ帝国時代にロンドンはたいそう栄えたが、古代時代の栄えた都市の宿命として異民族の襲来をたびたび受けていたそうだ(アングロ・サクソンの語源でもあるサクソン人はその代表だ)。そのため、ロンドンにもローマ人がつくった城壁の跡が残っていて、この城壁に囲まれていたエリアが元祖ロンドン・シティといえる。Museum of London は、この古いロンドンの一番北西の端に位置するようで、博物館の裏手の庭に、実際にローマ時代の壁が残されていた。西ローマ帝国が滅びてから少したった411年に、ロンドンはサクソン人の手に落ち、ここからブリタニカの中世が始まるとのことだ。

Museum of London 裏手のローマ帝国の壁

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今年は、1666年に起きた「ロンドン大火」からちょうど350年ということで、市内ではいくつかのイベントが開催されていた。このロンドン大火、どれくらい悲惨な事件だったかというと、4日間にわたってロンドンが燃え続け、当時のロンドン市の約4分の1を焼き払ってしまい、10万人以上の人が家をなくしたそうだ。かの有名なセント・ポール大聖堂もこの火事で焼け落ちてしまい、復興されたのが、今のドームを持つセント・ポールだ。

イベントの一環で、セント・ポール大聖堂のドームに炎の映像が映し出されていた。


いくら300年以上前の歴史的出来事とはいえ、それを現代でイベントにして盛り上げてしまうという、イギリス人の感覚にはまだ慣れないところがある。日本でもほぼ同時期に江戸で大火事が起きているが(明暦の大火、1657年に発生し江戸の約6割を燃やしたといわれている)、この事件を大々的に記念するイベントが東京で開催されたとは思えない。
ともかく、そんなロンドン大火関連イベントの一環として、 Museum of London では、ロンドン大火に関する企画展 "Fire! Fire!" が開かれていた。ちょうど、先週末が実際に火事が起きた週末だったこともあってか、博物館はとても混雑していて、入場まで1時間待ちだった。



ロンドン大火の火元は、プディング・レーンというロンドン橋近くにあったパン屋らしい。火の不始末が原因とも放火が原因ともいわれている(後で放火犯が名乗り出たことで、このパン屋は糾弾を免れたらしいが真相は闇の中だ)。
当時のロンドンは、東京の下町もびっくりの超密集木造建築地帯だったうえに、プディング・レーンにはパン屋や酒屋が多くて、小麦粉とかブランデーとか燃えやすいものがたくさん置いてあったのも火の勢いを強めてしまったらしい。

9月2日の深夜1時、プディング・レーンのパン屋から出火

9月6日午前5時、ようやく鎮火

燃え続けるロンドンを呆然としてみている人々の間には、様々な陰謀論が流れたようだ。「カトリック教徒の陰謀だ」、「強欲にまみれたロンドンの人々への天罰だ」などなど。関東大震災の時の流言で外国人に危害が加えられたり、東日本大震災の後に「天罰だ」といって物議をかもした元都知事がいたり、といったことを思い返すに、災害時に出てくる人間の本質にはあまり変わりがないようだ。

「ロンドン大火は、罪深いロンドン市民への神の怒り」

この展示では、ロンドン大火を行政的な側面からも解説していてなかなか興味深かった。「被害が拡大した原因の一つは、ロンドン市長がぐずぐずしていて、延焼を防ぐための建物取り壊しを命令しなかったから」とか、「様々な計画的な都市再興計画が考えられたが、地権者との調整が難航することが予想されたため、元の複雑な通りをそのまま残さざるを得なかった」とか、あまり現代と変わらないんだな、という所だ。

地権者と賃借人の調停を行う専門の裁判官がいたそうだ


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ロンドン博物館を見た後、ちょっと所用があったのでハロッズまで行ってきた。するとどうだろうか、まだ9月に入ったばっかりだというのに、ハロッズ・コーナーはクリスマス・グッズに占領されているではないか。
ハロッズでは、毎年クリスマス用の限定テディベアを発売しているのだが、すでに売り場はこのベアやらツリー用のオーナメントやらで埋め尽くされていた。イギリスの短い夏はあっという間に終わり、最近朝晩冷え込むようになってきたとはいえ、あまりもの気の早さに驚く。

ハロッズの今年のイヤー・ベアのヒュー君

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話をロンドン大火に戻す。この前、テムズ川のほとりを散歩しているときに、木でできた不思議な模型が船の上に置いてあるのを見つけた。家に帰って調べたところ、この木の模型は17世紀のロンドンの街並みを再現したもので、ロンドン大火関連イベントで実際に燃やしてしまうということが分かった。何というか、すごいイベントだ…

木の模型で再現されたロンドンの街並み

ということで、昨日の夜、実際に燃やされている現場を見てきた。強い風にあおられながら、もうもうとした煙が流れている。ロンドン大火の被害が甚大になったのは、(想像の通り)ちょうど強風の吹き荒れていた時の出火だったためだが、それもうなずける迫力のあるイベントだった。

昨日の夜は、強い風が吹いていた

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日本ではこの夏、某怪獣によって東京の街が破壊されることが話題になっているらしい。その一環で、twitter 上で「都市の破壊と再生」について興味深いツイートをしている人を見つけた。


ロンドンも東京(江戸)は、数世紀にわたって、疑うことのない世界的な大都市であり続けている。ロンドン大火や明暦大火、ブリッツや東京大空襲といった悲惨な破壊に何度も見舞われていても、だ。それは、上のツイートが指摘するように大都市が有している独自のシステムが働いているためで、災害を乗り越えることが、さらにそのシステムの作用を強めているようにすら思える。風が吹いたって吹かなくたって、大都市はそんな具合に成長していくことをやめないのだろう、そう思った一連のイベントだった。