2016年9月5日月曜日

ローマ帝国の崩壊・1666年のロンドン大火・クリスマスのハロッズ侵入・そして強風世界


我が家の最寄り駅の一つ隣に Barbican という駅があって、そこから歩いてすぐの所に、Museum of London という博物館がある。名前の通り、ロンドンという街そのものをテーマにした博物館だ。先史時代から現代に至る様々な展示品が並んでいて、なかなか見ごたえのある博物館だ。

「ロンドン」という地名は、ローマ帝国時代の植民地「ロンディニウム」から来ている。テムズ川ほとりのロンディニウムは、ローマ帝国ブリタニカ交易の中心地だったそうだ。もっとも、当時のブリタニアは文明の先進地ローマ本国からの輸入品に頼る一方で、主要な輸出品は牡蠣だったらしいが…
さらにさかのぼって「ロンディニウム」の語源はというと、これはよくわかっていないそうだ。ケルト原住民の言葉で「湖の要塞」という意味があるだとか、非ケルト系(印欧系)語源で、「早く流れる川」という意味があるだとか、諸説提案されている状況のようだ。いずれにせよ、テムズ川に由来して名付けられたのは間違いなさそうだが…

ローマ帝国時代にロンドンはたいそう栄えたが、古代時代の栄えた都市の宿命として異民族の襲来をたびたび受けていたそうだ(アングロ・サクソンの語源でもあるサクソン人はその代表だ)。そのため、ロンドンにもローマ人がつくった城壁の跡が残っていて、この城壁に囲まれていたエリアが元祖ロンドン・シティといえる。Museum of London は、この古いロンドンの一番北西の端に位置するようで、博物館の裏手の庭に、実際にローマ時代の壁が残されていた。西ローマ帝国が滅びてから少したった411年に、ロンドンはサクソン人の手に落ち、ここからブリタニカの中世が始まるとのことだ。

Museum of London 裏手のローマ帝国の壁

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今年は、1666年に起きた「ロンドン大火」からちょうど350年ということで、市内ではいくつかのイベントが開催されていた。このロンドン大火、どれくらい悲惨な事件だったかというと、4日間にわたってロンドンが燃え続け、当時のロンドン市の約4分の1を焼き払ってしまい、10万人以上の人が家をなくしたそうだ。かの有名なセント・ポール大聖堂もこの火事で焼け落ちてしまい、復興されたのが、今のドームを持つセント・ポールだ。

イベントの一環で、セント・ポール大聖堂のドームに炎の映像が映し出されていた。


いくら300年以上前の歴史的出来事とはいえ、それを現代でイベントにして盛り上げてしまうという、イギリス人の感覚にはまだ慣れないところがある。日本でもほぼ同時期に江戸で大火事が起きているが(明暦の大火、1657年に発生し江戸の約6割を燃やしたといわれている)、この事件を大々的に記念するイベントが東京で開催されたとは思えない。
ともかく、そんなロンドン大火関連イベントの一環として、 Museum of London では、ロンドン大火に関する企画展 "Fire! Fire!" が開かれていた。ちょうど、先週末が実際に火事が起きた週末だったこともあってか、博物館はとても混雑していて、入場まで1時間待ちだった。



ロンドン大火の火元は、プディング・レーンというロンドン橋近くにあったパン屋らしい。火の不始末が原因とも放火が原因ともいわれている(後で放火犯が名乗り出たことで、このパン屋は糾弾を免れたらしいが真相は闇の中だ)。
当時のロンドンは、東京の下町もびっくりの超密集木造建築地帯だったうえに、プディング・レーンにはパン屋や酒屋が多くて、小麦粉とかブランデーとか燃えやすいものがたくさん置いてあったのも火の勢いを強めてしまったらしい。

9月2日の深夜1時、プディング・レーンのパン屋から出火

9月6日午前5時、ようやく鎮火

燃え続けるロンドンを呆然としてみている人々の間には、様々な陰謀論が流れたようだ。「カトリック教徒の陰謀だ」、「強欲にまみれたロンドンの人々への天罰だ」などなど。関東大震災の時の流言で外国人に危害が加えられたり、東日本大震災の後に「天罰だ」といって物議をかもした元都知事がいたり、といったことを思い返すに、災害時に出てくる人間の本質にはあまり変わりがないようだ。

「ロンドン大火は、罪深いロンドン市民への神の怒り」

この展示では、ロンドン大火を行政的な側面からも解説していてなかなか興味深かった。「被害が拡大した原因の一つは、ロンドン市長がぐずぐずしていて、延焼を防ぐための建物取り壊しを命令しなかったから」とか、「様々な計画的な都市再興計画が考えられたが、地権者との調整が難航することが予想されたため、元の複雑な通りをそのまま残さざるを得なかった」とか、あまり現代と変わらないんだな、という所だ。

地権者と賃借人の調停を行う専門の裁判官がいたそうだ


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ロンドン博物館を見た後、ちょっと所用があったのでハロッズまで行ってきた。するとどうだろうか、まだ9月に入ったばっかりだというのに、ハロッズ・コーナーはクリスマス・グッズに占領されているではないか。
ハロッズでは、毎年クリスマス用の限定テディベアを発売しているのだが、すでに売り場はこのベアやらツリー用のオーナメントやらで埋め尽くされていた。イギリスの短い夏はあっという間に終わり、最近朝晩冷え込むようになってきたとはいえ、あまりもの気の早さに驚く。

ハロッズの今年のイヤー・ベアのヒュー君

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話をロンドン大火に戻す。この前、テムズ川のほとりを散歩しているときに、木でできた不思議な模型が船の上に置いてあるのを見つけた。家に帰って調べたところ、この木の模型は17世紀のロンドンの街並みを再現したもので、ロンドン大火関連イベントで実際に燃やしてしまうということが分かった。何というか、すごいイベントだ…

木の模型で再現されたロンドンの街並み

ということで、昨日の夜、実際に燃やされている現場を見てきた。強い風にあおられながら、もうもうとした煙が流れている。ロンドン大火の被害が甚大になったのは、(想像の通り)ちょうど強風の吹き荒れていた時の出火だったためだが、それもうなずける迫力のあるイベントだった。

昨日の夜は、強い風が吹いていた

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日本ではこの夏、某怪獣によって東京の街が破壊されることが話題になっているらしい。その一環で、twitter 上で「都市の破壊と再生」について興味深いツイートをしている人を見つけた。


ロンドンも東京(江戸)は、数世紀にわたって、疑うことのない世界的な大都市であり続けている。ロンドン大火や明暦大火、ブリッツや東京大空襲といった悲惨な破壊に何度も見舞われていても、だ。それは、上のツイートが指摘するように大都市が有している独自のシステムが働いているためで、災害を乗り越えることが、さらにそのシステムの作用を強めているようにすら思える。風が吹いたって吹かなくたって、大都市はそんな具合に成長していくことをやめないのだろう、そう思った一連のイベントだった。

2016年8月14日日曜日

ロンドンの駅(6):ノッチング・ヒル・ゲート


今回紹介するのロンドンの駅は、ノッチング・ヒル・ゲート(Notting Hill Gate)だ(なぜ、日本語発音なのかは最後までお読みいただければわかると思う)。もちろん、あの人気映画「ノッティングヒルの恋人」(原題:Notting Hill)で有名な街だ。ロンドンの繁華街ウェストエンドから、更に西に数駅行ったところで、閑静な住宅街と小さなカフェや書店が軒を連ねる街だ。

駅の近くにある映画館「コロネット」。「ノッティングヒルの恋人」の
主人公ウィリアムが映画を見るシーンで使われたそうだ
この、ノッティングヒル、映画で有名になる前は、蚤の市こそ有名だけど、カリブ移民の多い西ロンドンのありふれた住宅街だったようだ。だからこそ、映画中で大女優であるアナから告白されたしがない書店主のウィリアムが、「君はビバリーヒルズの住人だけど、僕はノッティングヒルの住人」、つまり住んでいる世界が違い過ぎる、というセリフになる訳だ。ただ、映画のおかげでこの町は人気になり、今ではロンドンでも有数の高級住宅街になってしまったため、最初はこのセリフを聞いてもニュアンスがよくわからなかった。どっちも高級住宅街じゃないか!

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ノッティング・ヒルの名物は、土曜日にポートベッロ・ロードで開催される蚤の市だ。豪華な銀食器から、油絵、清時代の中国陶器といったアンティークを売る店が延々と続き、大勢の観光客でにぎわっている。そのほか、スペイン料理や新鮮な野菜を売る屋台が連なるエリアや、本当のガラクタ市まであって、見ていて飽きない通りだ。

ポートベッロ・ロードの蚤の市

ポートベッロ・ロードの蚤の市

立派な銀食器を見ていると、一皿50ポンドくらい(7,000円くらい)なので、奮発すれば買えないこともないなぁ、と思いつつ、いつもピカピカの状態に保つのは大変そうなので、今回は購入を見送ることにして、通りをさらに進んだ。

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通りを進むと、そこは映画のロケ地の宝庫だ。ポートベッロ・ロードとウェストボーン・パーク・ロードの交差点は、ウィリアムがアナとぶつかってジュースをこぼしてしまう「運命の交差点」だ。交差点でぶつかった二人が運命の恋に落ちるというのは、日本の少女漫画もびっくりのあり得ない展開だとは思うが、そういった不自然さを感じさせないのが、「ノッティングヒルの恋人」のすごいところなのだろう。

リパブリックというカフェが運命の交差点の目印

アナとぶつかって服にジュースをかけてしまったウィリアムは、「ぼくの家はすぐそこだからそこで着替えて」と家に誘う。その、家だが、ほんとうにすぐそこだった。徒歩10秒だ。

ウィリアムのおうちの「青いドア」
この青いドアは、映画が人気になった直後は多くの観光客が押し寄せて、落書きされ放題で大変だったらしい。作中で大勢のゴシップマスコミに囲まれた後は、観光客に囲まれるとは、何とも数奇なドアである。そして、落書きを消すためか、この青いドア、一時期は黒く塗りつぶされていたらしいが、幸いにも、今は青いドアに戻っていたし、写真を撮っている観光客も自分以外にはいなかった。

ウィリアムの家から一本離れた通りに、ウィリアムが書店主をしていた本屋がある。映画の中では旅行書籍専門店だったが、その後別の人の手にわたり、今では普通の本屋さんになっている。映画中、旅行書籍専門店と知ってか知らずか、ディケンズの小説や、プーさんのお話を探しにくる変なお客さんが登場するが、今ならそのお客さんがほしい本も取り扱っているかもしれない。

ウィリアムが書店主をしていた書店

ブループラークもついている

今日は、ノッティングヒルを見て回った後は、ピカデリーサーカスで買い物をして帰ったので最後におまけの写真を一枚。アナがロンドン滞在中に宿泊していた「リッツ」だ。

ピカデリーサーカスの「リッツ」。アナはここに滞在していたという設定だ。
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「ノッティングヒルの恋人」の話になるたびに、いつも高校時代にお世話になった世界史のH先生を思い出す。H先生は、古代メソポタミアやローマ帝国の歴史はそっちのけで、「あなた方はこれから、素晴らしいレディとジェントルマンになっていかなければなりません」、という話を授業のたびごとに力説されていた。

「レディとジェントルマンとは、どういう人たちか。それは『ノッチングヒルの恋人』のあの二人のような男女のことなんです!」と、すでに私が高校生の時には、定年を迎えたあとで嘱託として私達を
教えてくれていた老紳士は、そう力説されていたのだ。当時高校生の自分にとっては、正直、先生の言っていることはよくわからなかった。だから、当時は「ノッティングヒルの恋人」を見ようとも思わなかったし、たぶん見ていたとしても、二人の間の感情の機微などなにも分からなかっただろう。今なら、多少はわかると信じたいものだが。

先生はさらに力説を続ける。「これからのグローバル化社会で、皆さんはどんなレディとジェントルマンにならなければいけないか。それは、『ノッチングヒルの恋人』の二人のように男女の機微を知る人となること、そして、フルコースを食べた後でも、豆腐のように大きいティラミスをぺろりと食べられる体力のある人になることです」。
いささか風変りではあるのだけど、これまでいろいろ聞いてきたどんな意識の高いグローバル人材論よりも的を射たものだと思っている(そんな自分も風変りである、という指摘は受け入れたいと思う)。いずれにせよ、高校生の時は将来ロンドンに住んで本物のノッティングヒルを訪れるとは全然思っていなかったので、何とも感慨深いものだ、とちょっとしんみりした週末だった。

2016年7月29日金曜日

ロンドンの駅(5): Waterloo


Brexit後の騒動やらなんやらもあって、またまたブログの更新が空いてしまったが、初心に帰って久々にロンドンの駅紹介記事を書こうと思う。
今回紹介するのは、Waterloo駅だ。Waterloo駅は、テムズ川の南側にあるターミナル駅で、地下鉄3路線の他、国鉄(National Rail)も乗り入れている巨大駅だ。ビッグベンや大観覧車「ロンドンアイ」からも徒歩圏内にあって、いつも多くの人でにぎわっている。Wikipediaによると、イギリスで最大の乗降客数を誇る駅だが、世界ランキングでは91位だそうだ。


Waterloo駅 National Railのターミナル駅なだけあって広々としている

映画「ゴーストバスターズ」の宣伝で、お化けのモニュメントが出現していた


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Waterloo(ウォータールー)という駅名を初めて聞いた時は、何とも変な感じがした。なぜなら、 "loo" というのはイギリス英語で「トイレ」のことを指すからだ。まるで、昔から水洗トイレでもあったかのような印象を与える地名である。もちろん、この解釈は間違いで、Waterlooの由来はフランス語にある。というのも、フランス語読みでは Waterloo は「ワーテルロー」と読む。あのナポレオンが敗れた最後の戦場に由来するのだ。
今のウォータールー駅の近くに、テムズ川にかかる大きな橋が1817年に開通したのだが、ちょうど数年前のワーテルローの戦いでのイギリス軍の勝利を祝して、ウォータールー橋と命名された、というのが駅名の由来になっているようだ。
ちなみに、ナポレオン戦争の舞台となったワーテルロー自体は、今のベルギーにあって Waterloo は Water(水辺、湿地)+loo(場所、ラテン語のlocusに由来)で「湿った場所」という由来があるようだ。

ウォータールー橋(Wikipediaより)


「ワーテルローの戦い」 オランダ国立博物館(筆者撮影)

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このウォータールー駅は、以前は国際列車ユーロスターが発着する駅でもあった。だが、イギリス国内の新路線の完成やセント・パンクラス駅の新装オープンに伴って、2007年にウォータールーにはユーロスターは止まらなくなってしまった。この、発着駅変更の際のフランス側の宣伝ポスターが傑作である。
というのも、その宣伝ポスター、"Oubliez Waterloo"(ワーテルローのことは忘れろ!)とナポレオンが群衆に向かって演説する絵となっているのだ(残念ながら、著作権フリーの画像を見つけられなかったので、実際のポスターはここで確認してもらいたい)。さすが、長い因縁をもつ英仏である。思わぬところで歴史の因果を感じさせるのが面白い。

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ウォータールー駅を通る地下鉄の一つに、「ベイカールー線」というものがある。ロンドンに詳しい人なら、おそらくこの名前だけからピンとくるだろう。そう、この地下鉄はベイカーストリートとウォータールーをつないでいるのだ。その昔、ベイカールー線は「ベイカーストリート・ウォータールー鉄道」と呼ばれていたらしいのだが、さすがにこの名前は長ったらしかったのか、人々はベイカールー鉄道と呼ぶようになったようだ。
この手の省略は日本人の得意技(鉄道路線名だけでも、東横線や八高線など枚挙にいとまがない)だと思っていたが、イギリスでも似たような例を見つけて何とも新鮮な感じがしたところだ。

2016年7月1日金曜日

ヒックスはイギリス社会を楽観するか


「ミクロ経済学の力」(日本評論社)という、つい最近出た東大の神取先生によるミクロ経済学の教科書がある。標準的なミクロ経済学理論を簡潔かつ深く、しかも数式を最小限に抑えた説明で網羅している名著だ。




ただ、この本の本当にすごいところは、終章「最後に、社会思想(イデオロギー)の話をしよう」にあると個人的には思っている。このことを、今日は少し書きたい。

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経済学者というと、市場経済を信奉していて、規制緩和を是とする立場だと思われているかもしれない。これは、ミクロ経済学で習う最も重要な定理である「厚生経済学の基本定理」の主張が強烈だからだろうと思っている。
規制を撤廃して完全競争状態を作り出し、得する人が損をする人に補償金を払えば、国民全員が得することが出来る(「ミクロ経済学の力」p.461)
という、定理の主張が市場経済を擁護する強力な根拠になっているわけだ。だから、自由なビジネスを妨げる規制を廃止し、関税を廃止していき、国を越えた労働力の自由な動きを認めることは、人々全員が得する方向の変化だ、と言えそうなわけだ。ただ、ここで話は終わらない。
現実にはそうした[得をした人から損をした人への]補償は完全には行われない、あるいはまったく行われないまま、市場はどんどん動いてゆ[く](「ミクロ経済学の力」p.461、[]内は筆者加筆)
からだ。この説明の前に市場の変化の例として、「デジカメが出てきて便利になったけど、町の写真屋さんの多くは店を閉めた」ことが紹介されていた。デジカメの普及で得をした人たちは、職を失った写真屋さんに補償をしただろうか。それはもちろんNOだろう。実際に、知り合いに街の写真屋さんがいた身としては、この手の解説を聞くときにはいつも心が痛む。

神取先生は、実際には市場の変化によって損をする人への補償はほとんど行われないことをどう考えるか、市場と社会正義の関係は、この一点に集約される、といっている。

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次に神取先生は、「補償原理」という考え方を紹介している。
市場に(政策変更や技術革新などで)変化が起こる時、得をする人が損をする人に補償をすることで全員が得をすることが出来るのなら、そのような補償が実際に行われなくても、その変化を認めるべきである。(「ミクロ経済学の力」p.462、太字は原文ママ)
これは、なかなかラディカルな主張だと思う。別にいちいち損する人を補償しなくても、あちこちで、市場の変化が重なっていけば、巡り巡ってみんながちゃんと得をするという考え方だ。スマホが出てきて写真屋さんは損をするけど他の仕事の人は得をする、どこでも酒を買えるようになると酒屋は困るけど(写真屋さんを含めて)他の仕事の人は得をする、貿易自由化で農家の人は損をするけど他の人は安く肉を買えるようになる、そういった変化を積み重ねて、プラスマイナス合わせてみれば、みんな得をする方向に社会は向かっていくだろう、ということだ。
このような、極めて楽観的な考え方を最初に言い出したのは、イギリスのヒックスという経済学者とのことで、「ヒックスの楽観」と呼ばれている考え方だそうだ。
そんな都合のいい話があるのか?勝ち組はもっと勝ち組に、負け組はもっと負け組になる変化だってあるんじゃないか?そういう疑問が出てくるだろう。これに対しては、
どちらが正しいのか、というのは実証の問題です。(「ミクロ経済学の力」p.461)
と、ある意味突き放している。市場経済を推し進めて行ったときに、みんながみんな長い目で見れば得をするかどうかは、理論モデルではわからない、データを見てみるしかない、ということだ。

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神取先生は、実際に補償原理の考え方がうまくいっていた、との立場から、いくつかのデータを紹介している。

一つ目は「クズネッツ曲線」と呼ばれるグラフだ。これは、縦軸に格差の大きさ(富裕層がどれだけの富を独占しているか)、横軸に国民の平均所得(平均的な豊かさ)を取ったグラフだ。教科書で紹介されているグラフは逆U字になっている。つまり、国が貧しい状態から成長していくといったん格差は拡大するが、そこからさらに成長していくと格差は逆に縮小していく、ことを意味する。経済成長で勝ち組が総取りしていたら、こういうグラフにはならない、だから補償原理の考え方は問題がない、という主張だ。

二つ目は「世代を超えた」分析だ。補償原理は1世代の中では十分に働かないかもしれない。神取先生が言うように、
デジカメのおかげで家業がダメになった写真屋さんは、生涯「デジカメが出来る前の方がよかった」と思い続けるかもしれません。そこで、自分の子供たちに市場の成果がどの程度いきわたるかを見ていきましょう。(「ミクロ経済学の力」p.467)
というわけだ。神取先生が紹介している研究によると、自分の職業が農家であれ写真屋であれサラリーマンであれ、孫かひ孫まで下れば、自分の職業とは関係なく、その時社会で必要とされている職業についていることが示されている。だから、自分の子孫のことを思うなら、社会全体がより豊かになる変化は受け入れるべきだ、と主張できるわけだ。

これらの具体的研究を引いたうえで、神取先生は次のようにまとめている。
社会正義を考える一番のカギは、「補償原理を一笑に付すのではなく、正面からこれをどう判断するか」という、まさにその1点に集約されると私は考えます(「ミクロ経済学の力」p.470-71)
補償は不十分にしかできません。では、どうしたらよいでしょうか?これが、我々に突き付けられている思想的課題です。「正しい答え」というのはありません。みなさん、一人ひとりでしっかり考えてみてください。(「ミクロ経済学の力」p.471)
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ヒックスが活躍したのは第二次大戦前から戦後の時代にかけてだ。もし、ヒックスが今のイギリスに生きていたら、果たしてどれだけ楽観主義者たり得たのだろうか、と考える。

グローバル化、特に貿易の自由化や労働力の自由な移動を認めることは、それによって恩恵を受ける人と割を食う人を確実に生み出す。そして、今回のイギリスの決断は、割を食った側の人間からの拒否表示という側面があるといえる(離脱派の主張の妥当性自体はここではおいておく)。
一方で、今回の結果を、主に経済パフォーマンスの面から盛んに非難する人が多い。そういった人たちは、おそらく「補償原理」に対して全幅の信頼を置いている人たちなのだろう。それ自体は、まっとうな、そして主流の考え方だし、上の神取先生の解説にある通り、20世紀後半では実際にうまく働いてきたことを多くの実証研究は示していそうだ。だが、神取先生自身が指摘するように、補償原理をどれだけ信頼するかは、人々の価値観によるものだし、同時に、きわめて実証的な問題でもある。

上で紹介した「クズネッツ曲線」は、数年前に話題になったピケティの著書が反論しようとしている対象そのものだ。事実、ピケティは序章で「クズネッツ曲線の理論は間違って理屈付けされている(Kuzunets curve theory was formulated in large part for the wrong reasons)」と否定している。それと同時に、「クズネッツが1953年の著書で示したデータは、突如として強力な政治的武器となった(The data Kuzunets had presented in his 1953 book suddenly became a powerful political weapon)」こと、「クズネッツ曲線の理論は、冷戦の産物である(the theory of the Kuzunets curve was a product of the Cold War)」とも主張している。
私は格差研究の分野は全く知らないので、神取先生とピケティ、どちらの主張がよりもっともらしいのかはわからない。ただ、実証分析は、手元にあるデータで行うしかないし、思想的な背景が容易に入り込んでしまう部分もある、ということに注意を払う必要がある、ということは間違いなさそうだ。

民主主義的に投票で物事を決めようとするときに、投票者は自分の子孫のことまで考えて投票行動を決める義理はない(もちろんそうしてもいいし、若い世代としてはそういう人が増えてほしいとは思うが)。国民投票のような形で、重大な意思決定をしてしまうと、本来ならうまく働いているはずの「世代を超えた補償原理」をみすみす止めてしまう可能性がある。だが、これは民主主義をどこまで尊重するか、という別の社会正義に関する価値判断が入り込むので、なかなか簡単な答えはないだろう。

そして、神取先生が挙げていた「世代を超えた補償原理」が効果的に働くためには、労働者の階層移動が十分に行われる必要があるだろう。逆に言えば、教育に十分な金をかけてもらえた子どもたちだけが、富を築くチャンスをつかみ取ることしかできない状況なら、「世代を超えた補償原理」に対する社会の信頼感は弱まるだろう。カメラ屋の息子がサラリーマンになれる社会なら問題はない。だが、グローバル化から取り残された労働者の子どもたちが、十分な教育を受けられずに、グローバル化の果実をほしいままにする層を横目で見ることしかできない、という絶望があったらどうなるだろうか。

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神取先生は、終章をアルフレッド・マーシャルによる有名な「冷静な頭脳と暖かい心(cool heads but warm hearts)」のエピソードで締めくくっている。衝撃的な投票結果から1週間、イギリス社会は未だに揺れ続けている。成熟した民主主義の大国として、そして、大経済学者マーシャルを生んだ国として、冷静に物事を受け止めつつ、今回の混乱で困っている人に暖かい心を向ける余力を、早く取り戻してほしい、と願うばかりだ。



2016年6月29日水曜日

フィリッピーノ・リッピ展


今日も世の中はあわただしい一日だった。
最大野党の労働党はコービン党首を追い落とすべく内紛状態にあり、キャメロン首相に「頼むから辞めてくれ」といわれる始末だ。一方で、保守党内でも激しい次期首相候補争いが始まっている。なんだかんだ言われつつ、本命はボリス・ジョンソンなのだが、ABB(Anybody But Boris、ボリス以外の誰か)陣営は、メイ内相でまとまりつつある。また、EU残留をもくろむスコットランド国民党のスタージョン党首がEUの首脳と会談したと思えば、独立志向の強いカタルーニャ地方を抱えるスペインのラホイ(暫定)首相が牽制する。イタリアでは、Brexit後の市場の混乱で銀行経営に対する不安感が高まっておりレンツィ首相は救済を検討しているが、ドイツのショイブレ財務相は安易な救済にくぎを刺している。
イギリス政界の党内事情からEU諸国間の微妙な関係まで、あらゆるレベルでアクの強い役者たちが動いている。これが、100年か200年後に読む、歴史小説の一節ならどれだけよかっただろうと思うが、現実は現実だ。それに、この小説はまだまだ長い続きがあって、結末は誰も知らない。

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あまり、ニュースばかり見ていても詮無いので、久々に美術館に行ってきた。
その美術館では、フィリッピーノ・リッピと呼ばれる、15世紀後半、イタリア・ルネッサンス期の画家の企画展が開催されていた。なかでも、銀筆(silverpoint)と呼ばれる、銀製のとがった筆で特殊なコーティングを施した板に書かれた習作が見ものだった。この銀筆で書かれた絵は、耐久性は高いが、硬い板を固い筆でがりがりやりながら描くものなので、グラデーションをつけたり、複雑な表現をするのは難しかったようだ。それでも、さすがフィリッピーノ・リッピ、非常に緻密で表現力の高い作品が展示されていた。しかし、なんでこんな面倒な技法で習作を書いていたのだろうか。

この銀筆は、紙が工業製品として生産されるようになるまで、画家が習作などを書くときの主要な技法だったようだ。展示の解説によると、イタリアにヨーロッパ初の製紙工場が出来たのが1490年とのことだ。フィリッピーノ・リッピは最後の銀筆世代と言える。リッピより後の世代は、紙に鉛筆を使ってスケッチ・習作を気軽に書くことが出来るようになっていったのだろう。そして、この技術進歩は、画家がどのように修練を積んでいくかに影響を与え、ひいては絵画技法の変化にも大きな影響を与えていっただろう。

紙が工業的に生産されるのはある程度時代が下ってからのこと、というのは、言われてみれば当たり前だ。だが、素人美術ファンがルネッサンス期の絵画をただ見ているだけの時に、この事実を意識するのは難しい。言い換えれば、ルネッサンス期の画家たちが「どのように修業を積んで、どのように作品を作り上げていったか」を、現代人として自分が持っている画家のイメージから切り離して想像するのは、専門家でもなければなかなか難しい。

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Brexitが決まった先週金曜日、面白いツイートを見かけた。



まあ、ここまであからさまなら、おかしいと気づくので問題はない。ただ、過去の人々の営為を見るときに、上のツイートレベルの勘違いをしていないとも限らない。だから、100年後にいま世界で起きている騒動が歴史小説となったら(おそらくなるだろう)、おかしな解釈の部分もあるだろう。一方で、過去の歴史を振り返るような冷静な目で、目の前で起こっていることを受け止められないのも事実だ。いずれにせよ、世の中が落ち着くまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。

2016年6月25日土曜日

続き(1)


(承前)

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ネット記事やSNSを眺めている限り、特に日本語で書かれた論評では、英国のEU離脱について「愚かなことをしてくれた」という評価が大半を占めている。なぜ愚かな決断だと思うかは、それらの論評を見る限り、次の2つにまとめられるだろう。

1.経済合理性のない判断だから
2.ヨーロッパの統合・人の移動の自由という、リベラルな考え方を逆転させる判断だから


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経済的な面から言えば、英国経済全体としてみれば、短期的にも長期的にも打撃を受けることがほぼ確実だ。これは、残留派が英国財務省の試算で見せていたことだし、イングランド銀行やIMFなども共通して示していることだ。もう少し、ブレークダウンすると、下記の点が具体的な経済下押し圧力といわれることが多い。

・EUの単一市場から抜けることで、貿易のコストがかかる(関税がかかる、輸出入の手続きが煩雑化する)、非関税障壁が高まる(EUと英国で法制度が異なると、対応コストが高まる等)。ただし、この点がどうなるかは、今後EUとどのような貿易協定を結ぶか次第だ。
・英国の主要産業・金融業について、金融センターとしてのロンドン・シティの求心力が弱まる。すでに、JPモルガンやHSBCなどが、フランクフルトやパリへの人員移転の検討に入っているようだ。だが、こうした移転の動きが実際にどのタイミングで、どのくらいの規模で起きるかについては、「ほとんどない」、から「破滅的な影響」、まで幅広いコメントがあり、意見の一致が見られていない。
・急激なポンド安により、輸入物価インフレが起き、国内消費が低迷する。これはおそらく早晩起きるだろう。少なくとも、今年のイギリス人の地中海へのバカンスは2~3割は高くつくことが確定してしまっている。
・一つだけ確実なのは、以上で上げた点が、どれだけ影響を与えるのか見通せないこと。そして、この不確実性が経済活動を委縮させることだ。

残留派は、これらの要因の影響がそれぞれ大きく、1世帯当たり数十万円以上のコストだ!と運動を展開してきたが、功を奏さなかった。

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上でふれた経済的悪影響の内容には全く異論がないし、残留/離脱を判断する際に必ず考慮しなければいけない点であることにも異論はない。実際、自分に投票権があったとしたら、この経済的観点だけで残留に投票していただろう。
ただ、多くの論評で忘れられている点が少なくとも2つあることには違和感がある。その二つとは、(1)経済的問題だけで投票行動が決まる訳ではないし、決めるべきでもないこと、(2)経済合理性の尺度として人々の念頭にあるものが、基本的にはGDPに代表されるような集計値だ、という自覚がないことだ。もしくは、GDPレベルで成長するなら、再配分を通して低所得層も得をできる、という仮定を暗黙にしていることだ。

(1)経済的問題以外の要因は、「リベラルな考え方の逆転」という論点とも絡むので、後に回す。ここでは、経済合理性の尺度について書きたい。

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個々人の投票者は、基本的には自分の利害を念頭に投票する。言い換えれば、個々人の投票者が比較するのは、残留/離脱時のGDPの違いではなく、自分自身が受けられそうな便益の違いなのだ。極論でいえば、「国全体がどうかは知ったこっちゃない。自分の食い扶持の方がよっぽど大事だ」と考える人々がいることはおかしなことではないし、そういう人たちが、近視眼的で扇情的な活動に影響される傾向が強そうだ、ということも同意する。そういう人たちによるノイズを減らすために、間接民主主義が発達し、官僚・専門家集団による行政の運営が発達したのだろうが、narrow minded な人間の意見はあらゆる面で無視するべき、というのは民主主義の否定だ。

だから、「離脱したらGDPがものすごく減る」、といったところで、「移民のせいで自分は割を食った」、「グローバル化した世の中のせいで自分は生き辛くなった」と思っている人々には、はっきり言って刺さらないだろう。もっとも、こういう人たちに対しては「自分では割を食った感じるかもしれないが、EU加盟で英国経済は豊かになっており、君たちも色々な再配分を受けられて、結果的にはプラスだった」との反論が出てくる。成長すれば多少格差が広がっても、トリクルダウンがあるのだ、という考え方だ。離脱によって、むしろしわ寄せが離脱派によることはもちろん大いにあり得る。だが、説得的にEU残留によるトリクルダウンをアピールできなかった点で、残留派が離脱派に示すべきものを示せなかった、ということではないだろうか。重要な再配分政策の一つである公営医療の現場で、「移民のせいでいつも病院が混んでいる」という実感を持っている人たち取ってはなおさら、残留派の試算は響かなかっただろう。その点、EUに主権が制限されている、という離脱派の主張は、再配分のやり方までEU官僚にがんじがらめにされている、という印象に結びつきやすく、非常に効果的だったのだろう。

4月にとあるシンポジウムで、ある経済学者による、EU離脱の経済的コストの試算に関するセミナーを聞いた。彼女は、「EU離脱は移民による労働力の柔軟な移動・調整を阻害し、労働市場を非効率にする。そして、このコストはGDP比で見ると非常に大きい」という説明をしていた。この主張は正し過ぎるほど、正しい。だが、こういうロジックに基づいた経済的試算で離脱派を説得しようとするのは無理があるのではないか、と同時に不安になった。まさか、その時の不安が現実のものになるとは、その時には思わなかったが、思い返せば4月頃から残留側が経済的コストを強調し始めたころから雰囲気がおかしくなってきたことに今気づいて愕然としている。

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イギリスに限らず、アメリカでも大陸欧州でも、そして日本でも、「グローバル化で割を食っている」という層が台頭してきている。これだけ、様々な政治体制・経済政策をとる国が共通した問題に直面している中で、「移民のせいじゃない、EUに残った方がいい。グローバル化の流れは悪くない」という命題が「動かない真実」だ、離脱派は「わからずやの愚か者だ」、と言い切るだけの、理論的・学術的証拠を自分は持ち合わせていない。むしろ、この命題の答えは、これからの世界が多いな代償を払いつつ決めることなのだろうと思うと、引き続き暗い気持ちになる。

「中間層が困窮している原因はEUにある訳ではない。EUに問題をすり替えるボリス・ジョンソンやナイジェル・ファラージュは稀代の詐欺師だ。離脱派は騙された愚か者たちだ」。今日も、ニュースやSNSをこういった言葉が埋め尽くした。こうした指摘は大きな真実を含んでいるだろうが、一方でEUが原因でないとすれば、他に中間層をリスクの高い選択肢に走らせた原因がある、というだけだ(ジョンソンやファラージュは、あくまで現象であって原因ではないと思う)。強い言葉は発する人も害する。強い言葉を投げつけるべき、本当の原因が何なのか整理がついていない自分にとっては、今日も気持ちをやさぐれされる一日だった。

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もちろん、離脱派の「これまで割を食ってきたから離脱」という判断にも問題はある。人間の限られた判断力では、意思決定が過去の経験に大きく影響されてしまうのはやむを得ないとはいえ、本当に大事なのは「将来どうやっていけばハッピーになれるのか」だ。難しい言葉でいえば、こういう意思決定はフォワード・ルッキングであるべきなのだ。だから、キャメロン首相は危険な賭けでEUを揺さぶって、将来を改善させようとしたのだろう。
EU離脱が人々を不安にさせているのは、離脱派の政治家たち、そして英国の議会政治が、この厄介な英国の将来をハンドルするだけのビジョンと能力を持っているかに、深い不信があるからだろう。もちろん、ヒビを入れられたEU諸国側の対処能力にも大きな不安がある(だからこそ、イギリス以上に大陸欧州の株価が下がったのだろう)。だからこそ、すでに、離脱に投票したことを後悔している人たちが多数出てきているようだ。そして、スコットランドやロンドンは、こんな奴らとはやっていけないと公然に主張し始めている。それでも、腹をくくって最善の道を探すしかないだろう。残留派/離脱派の論争を聞いていると、それぞれもう決まり切った2つの未来の選択のように錯覚しそうになるが、本当はそんなことはない。未来は、大きな困難を伴いながらも、これから作っていくものだ。

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先日、テート・モダンと呼ばれるロンドン最大の現代美術館の新館がオープンした(ちなみに、オープニングイベントはユニクロが協賛している)。
http://www.tate.org.uk/whats-on/tate-modern/special-event/new-tate-modern-opening-weekend
その、オープニングイベントの中で、テート・モダンをモチーフにした現代音楽を、地元の合唱団員500人がパフォーマンスする、というイベントがあった。そして、その中に、The Future (未来)という曲があった。

The Future:
It's not what we know, It's what, we think it will be
(拙訳)未来:それは私たちが知っていることではない。それは、私たちがそうなるであろう、と思うことだ。

作曲者によると、この曲は、ひどい目にあった自分の大切な人に向かって、優しく語り掛ける曲、
とのことだ。日本には、「これからリーマンショック級の事態が起きうる」、と予言した人がいたとかいないとか話題になっているようだが、この作曲者は別にそういう予言者とかではないと思う。

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(たぶん続く)

長い一日を終えて


長い一日が終わろうとしている(むしろ記事を書いているうちに日付が変わってしまった)。いつもは、夜更かし朝寝坊が常の夜型人間だが、今日ばかりは朝の6時過ぎに起きた。そして、目の前で起きていることに衝撃を受けて、眠気は一瞬でさめた。ポンド円は寝る時に見たレートから20円ほど下がっていたし、離脱派の勝利はもう動かないものになっていた。

「外国人」としてこの国に住んでいる以上、そしてEUからの移民に対する反感が大きな影響を与えてた結果である以上、この結果はもちろん残念だ。それに、英国や世界の政治経済が抱え込む途方の無い不透明性・リスクの大きさにも立ちすくむばかりだ。

これまで、残留派・離脱派の間で虚実入り混じった応酬、すさまじい誹謗中傷合戦が繰り広げられてきたのは事実だが、一方で離脱という答えは3000万人を超える英国の投票者が示した意思だ。今後、どれだけ離脱による悪影響が広がるのか、一方で離脱派が主張するようなメリットがどれだけ生まれるのか、またカウンターパートであるEU諸国がいかに状況を好転できるかは、英国とEUとの今後の建設的な議論・交渉にかかっている。10月までに退陣するキャメロン首相を継ぐ人物がだれなのかは、現時点では混沌としている。ただ、離脱派のリーダーにして有力後継首相候補であるボリス・ジョンソン前ロンドン市長に贈る言葉は、やはり以下のようなものだろう。



(フランス紙リベラシオン。写真中の人物がボリス・ジョンソン氏)

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これは日本のメディアでも報道されていると思うが、残留派は、「都市部」・「若者」・「高学歴・高収入」なほど割合が高い。イギリス、特にロンドンの大学はEU出身の教員や留学生が圧倒的に多い(一番多いのは中国人のことも多いが…)。当然、彼らEU出身の人々は(投票権がないとはいえ)残留派だし、そういうコミュニティに所属している人間も自然と残留派が主流となる(自分自身、今度イタリア人の同級生に会う時に、何と声をかけていいのかわからない)。だから、都市部で大学が多く、高学歴・高収入層が多いロンドンを筆頭とした都市部は残留派が勝利する結果となる。

ただ、なぜこういった属性の人たちが残留派となるのか。若者は、生まれたときからEUに加盟しているイギリスしか知らないし、実際にEU出身の人々と交流する機会が多いからだろう。一方で、都市部・高学歴・高収入層が残留派になびくのは、彼らがEU加盟による最大の受益者だからだ。その対極にいるのが、地方でいわゆるブルーカラーの職についていて(過去形かもしれない)英国外から来た人との接触が少ない人々、典型的な離脱派像だ。

今回の結果を、「地方の叛乱」と表現した記事があった。直接は書いていないが、地方の低所得・低学歴層が、経済的合理性を無視して、排他的な感情から非合理的な判断をした、とのニュアンスが伝わってくる。もちろん、こうした動きをポピュリズムという言葉でくくる言説は山ほどある。これは一面としては正しい表現なのだろう。どう控えめに言っても、今日、イギリスは国全体としてみれば、確実に分の悪い(しかもかなり悪い)判断をした。ただ、民主主義体制の中で票数としては多数を占める層を、上で挙げたような、ある意味で非常に失礼な表現でくくってきたインテリ層の言動が敗因となった可能性を考えていかなければいけないだろう。

同世代の、特に大学関連の友人知人はほぼ全員が残留派であるため、SNSのタイムラインは非常に沈鬱かつ攻撃的な一日だった。そして、何よりも心をやさぐれさせたのは、EU出身の友人知人たちが、こぞって「離脱派くそくらえ」、「EU離脱した、イギリス死ね」といったような声をあげていたことだ。おそらく、イギリスのEU加盟における最大の受益者の一人である彼らが、あくまでも英国の国民が民主的に示した意思(それは少なくとも、選挙の投票数ベースでは、EU加盟によって自分は受益者になれなかったと「思っている」人の方が多いことを意味する)に対して、そのような汚い声を投げつけることには、なんともいえない違和感を覚える。
EU離脱は決まったが、別に断交するわけではない。新しい、首相のリーダーシップの下で建設的な英国とEUの新しい関係が結ばれるために、何ができるかを考えるべきだと思う。

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近所のバス停の落書き
今日は、酒でも飲まなきゃやってられない、ということで、近所の The Perseverance (忍耐)という名のパブに行ってきた。パブなのに、忍耐、という名前はどうなのかと思うが、これからのイギリスを形容するにはぴったりの名前だろう。
その帰り道で、上の写真のように、バス停に落書きされているのを見つけた。やや記憶が定かではないが、おそらく今日書かれたものだと思う。残留派が怒りに任せて、Remain(残留)、Unity(団結)と書き込んだのだろう。
ただ、一連の動きを見る限り Remain=Unityとなるほど、この世の中は単純ではない。グローバル化による社会・経済の統合は、一方で国内の格差を広げ国内社会をunityから程遠いものにしてしまっている。
このような矛盾は、「偏狭な考えを持つ離脱派」(や米国でいえばトランプ支持層)のせいなのかもしれないし、格差を緩和できない政治家のせいかもしれないし、長期停滞ともささやかれる今の世界経済が共通して抱える宿痾なのかもしれない。ただ、私個人としてはまだこの点には答えを持てないでいる。


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今日の朝8時過ぎ、残留派敗北を受けてキャメロン首相は会見を開き、10月の保守党大会までに退陣することを表明した。昨夜、「投票結果がどうであれ、首相続投すべし」という嘆願書が80人程度の国会議員から出されていたにもかかわらず、だ(しかも、ボリス・ジョンソンも名前を連ねていたそうだ)。潔い進退表明だったといえる。
ただ、キャメロン首相はあと数ヶ月は首相の座にとどまる。金融市場に破局的な影響を与えないため、これだけ大きく割れてしまった社会に応急処置を与えるため、そして後継首相選びがもめて時間がかかるだろう、といった名分はあるだろうが、日本の感覚からすれば長らく居残るものだな、と思う(リオ五輪まで、と粘り腰だった某知事も、追い込まれてからは早かったこともあり、なおさらそう思う)。少なくとも最低限の尻拭いをする覚悟が政治家にあり、それを許容する度量が議会と国民にあることには、彼我の差を感じずにはいられない。

今朝のキャメロン首相のスピーチの中で、印象に残ったのは、彼らしい朴訥とした語り口で発した次の言葉だった。

I fought this campaign in the only way I know how, which is to say directly and passionately what I think and feel - head, heart and soul.
(拙訳:私は、今回の選挙戦を、自分が出来る唯一のやり方で戦った。私の頭、心、そして魂で何を感じ考えたかを、直接にそして情熱的に語る、という方法だ。)

確かに、キャメロン首相は、自身が表現するように全力で選挙戦を戦い抜いたと思うし、引き際も信念が通ったものだったと思う。少なくとも、選挙結果が明らかになってから、コービン党首の不信任動議を出す労働党や、昨日の夜は、負けたかも、と弱気になっておきながら、結果が出てから「今日が独立記念日だ―」と浮かれているUKIP(英国独立党)のファラージュ党首よりは、よほど筋を通した。

ただ、キャメロン首相への評価は、離脱後の英国がたどる運命とともに歴史が決めることになるだろう。離脱はないだろうと高をくくって、賭け金を引き上げてEUを揺さぶろうとしたのは、他でもないキャメロン首相だったのだから。この点、日経新聞の春秋で、一緒にするつもりはないが、と前置きされながらも、「重大な問題はしばしば国民投票にかけられ」たのが、ナチスドイツだったと論評されているのが印象的だ。民主主義である以上、国民投票はある意味で最高の意思決定手段なのだろうが、安易にこの手法に頼るのは政治家としてかなりリスキーな行為であることが見せつけられたのが今回の出来事だろう。日本も参院選の結果次第では、憲法改正の国民投票が視野に入ってくる状況では、他人事とは言えない。





ところで、ツイッターでは、早速さまざまなネタ画像が出回っている。上は、かの有名な戦前の国際連盟から「我が代表堂々退場す」の新聞記事をもじったものだ。この、国際連盟からの日本脱退について、東大の加藤陽子教授が「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」の中で次のように書いている。

強硬に見せておいて相手が妥協してくるのを待って、脱退せずにうまくやろうとしていた内田外相だったわけですが、…(中略)…除名や経済制裁を受けるよりは、先に自ら連盟を脱退してしまえ、このような考えの連鎖で、日本の態度は決定されたのです。(「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」 P.312) 
戦前の日本と今のイギリスを重ねるのは、余りにも乱暴だが、キャメロン首相の歴史的評価も、いずれこのような文脈で語られる日が来るのかもしれない。

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長くなったので、続きはまた

2016年6月23日木曜日

いよいよ


ついに、英国のEU離脱を問う国民投票の日となった。長い間、論戦が繰り広げられてきて、ついには悲劇的な犠牲者まで出たが、いよいよ審判の時だ。
BBC News のツイッターアカウントは、夜の11時くらいになると、翌日の朝刊各紙の1面を網羅的にリツイートする。備忘録として、各紙の見出しをリストアップしておこうと思う(拙訳、意訳)。

・Thursday's Guardian(ガーディアン紙)
Last-ditch push to stay in Europe([残留派の]最後の試みは、EU残留へと導くだろう)

・Thursday's Times(タイムズ紙)
Final polls leave Britain’s future on a knife edge
(最終世論調査によると、英国の未来はまだ剣ヶ峰にある)

・Thursday's Daily Telegraph front page(デーリーテレグラフ紙一面)
The time has come(時は来た)

・Thursday's FT(フィナンシャルタイム紙):
Tension mounts in City ahead of historic vote on EU membership
(EUに関する歴史的な国民投票を前に、[金融街]シティの緊張が高まっている)

・Thursday's Independent digital(インデペンデント紙電子版)
The Day of Reckoning(審判の日)
※reckoningには、判断・審判するという意味のほかに、数字を集計する、という意味もあるらしい。非常にうまい言葉の使い方だと思う。

・Thursday's Daily Express(デーリーエクスプレス紙)
Your country needs you Vote Leave today(英国のためにEU離脱に投票する必要がある)

・Thursday's Daily Mail front page(デーリーメール紙一面)
Nailed: four big EU lies(EUの4つの大きなウソ)
 ※やや自信がないが、nailedは、悪事の現場を取り押さえる、という意味のスラングのようだ。

・Thursday's International NY Times(NYタイムズ国際版):
Leaving EU would upend nation, but not overnight
(EU離脱は英国を転覆させるだろう、ただそれは一夜にして起きるものではない)
※離脱派が、EU離脱後の諸々の手続を詰めていないため、長期間にわたって影響が出る、と続く

・Thursday's Sun front page(サン紙一面) 
Independence Day(独立記念日)

・Thursday's Daily Mirror(デーリーミラー紙)
Don't take a leap into the dark… vote REMAIN today
(暗闇に飛び込んではいけない。EU残留に投票せよ)

・Thursday's Daily Star(デーリースター紙)
YOUR country YOUR vote Grab your future by the ballots
(あなたの国、あなたの投票権、未来を投票によってつかみ取れ)

・Thursday's i front page(i紙一面)
On your marks. Get set. VOTE!
(位置について、用意、投票!)

・Thursday's City AM(シティ・AM紙)     
Decision Day (選択の日)

・Thursday's Metro front page(メトロ紙一面)
Britain Decides(英国の選択)


淡々としている新聞、最後まで扇情的な新聞、恐怖をあおる新聞と見事に個性が出ているのが見て取れるだろう。紙面構成・写真からも今のイギリスの雰囲気が伝わると思うので、以下の引用ツイートを眺めていただきたい。

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2016年6月9日木曜日

試される大地


こちらで地元の人と知り合いになると、「日本のどこ出身なんだい?」と聞かれることもある。とはいっても真面目に答えたところで、尋ねてきた本人が知っているのは、東京と京都くらい、ということが多くて、北海道といってもピンとこない人の方が多い。自分だって、こっちに来る前は。マンチェスターとかヨークが地図上のどこにあるかなんて絶対に答えられなかったし、まあそんなもんだろうと思っている。ただ、「聞いたことないなあ」といわれ続けるのも、やや物悲しいので、いつからか、「日本の北にある大きな島の、雪深い街の出身です」と答えることにしていた。

今日もたまたま最近知り合いになった人と雑談する機会があって、出身地を聞かれたんだけど、いつもとやや違った展開になった。

イギリス人:「日本のどこ出身なんだい?東京かい?」
私:「東京にも長く住んでたけど、出身は日本の北にある大きくて雪がたくさん降る島です」
イ:「あ、知ってるよ。北海道でしょ?」
私:「そうですよ。北海道、よくご存じですね。」
イ:「そりゃそうだよ。あの行方不明だった少年が無事見つかったところでしょ?クマにさらわれたんじゃないかって、心配していたんだよ。」
私:「…確かに、こっちでもたくさんニュースで取り上げられていてびっくりしました。北海道のクマは凶暴なんで危険なんですよね」

確かに、例の少年の話は、こちらではすごい話題になっていて、退院して「お父さんを許します」という所も含めて続報を続けているようだ。きっと、今日話したイギリス人も北海道のクマが凶暴なことも含めて、ニュースで聞いたのだろう。

BBC: Japanese missing boy Yamato Tanooka found alive in Hokkaido
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-36441612


しかし、こんなところで北海道のクマの話になるとは思わなかった。思わず、ラーメンズの「住民の半分がクマ」というネタを思い出してしまい、続けて北の国からの五郎の声真似で「試される大地」というシーンも思い出してしまった。確かに、大和君にとっては見つかるまでは試される大地だっただろうし、色々と謝って回らなければいけないお父さんにとっては、今が試される大地だろう。

ともかく、今後は自己紹介をするときには、「ミラクルボーイ、ヤマトが生きて帰ってきた北海道の出身です。もし、遊びに来ることがあったらクマに気を付けてください」ということにしようと思う。

2016年6月7日火曜日

It's all Greek to me (チェコ旅行その1)


この前、ギリシャ人の指導教官とミーティングをしていて、その最中に先生に家族から電話がかかってきたので、ギリシャ語の会話を聞くことに。当然、何をしゃべってるかさっぱりわからなかったので、電話が終わった後に "It's all Greek to me! literally." とコメントしたところ、先生はちょっとにっこり。英語でジョークらしいジョークを言えたのは、これが初めてなので、多少は進歩を感じた瞬間だった。

この、"It's all Greek to me" は、ご存じの人も多いと思いますが、「ちんぷんかんぷんだよ」という英語の表現ですが、最初にこの表現を使い始めたイギリスの人の気持ちも分かる気がしたところ。と、書いたところで、ちょっと調べてみたら、この表現の由来はラテン語の直訳らしいですが、細かいことはきにしない。

で、この手の慣用表現は、多くの言語にあるらしく、twitterで面白い画像を見つけたので引用。


この図を見ると、いくつか興味深い点があって、一つは線をたどっていくとだいたい中国語になる、ということだろう。まあ、他の文字圏の人からしたら漢字は難しいわな。そして、日本語からは矢印が出ていない、つまり日本語には似たような表現がない、ということも興味深い。これは、日本人はだいたいどんな言語でもわかってしまうということなのか、逆に(特定のわからない言語が際立たないくらいに)外国語全般が苦手ということなのか…いろいろ興味は尽きない。


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先日の記事でもにおわした通り、妻がドイツでイギリスの在留カード(BRP)を財布ごとすられてしまったので、再入国ビザが発行されるまで、待機場所のチェコはプラハまで行ってきた。観光スポットの話は、次回以降に譲るとして、今回はチェコ語の話でも。

滞在中に、最低限旅行用のチェコ語の表現を調べようとネットを見ていたところ、実はチェコ語は日本人にとって習得が相当難しい外国語、との認識なようだ。

何が難しいのかというと、まず文法が難しい。英語なら、主格・所有格・目的格(I, my, meってやつですね)位ですが、チェコ語は、主格・属格・与格・対格・呼格・前置格・造格の7種類あるらしい(当然どう使い分けるのかは全く分からない)。あと、名詞の性別も、英語にはないしフランス語なら男性・女性だけだけど、チェコ語には男性活動体・同不活動体・女性・中性の4種類あるらしい。男性名詞を活動するかしないかで分けるというのは果たしてどういう意図なのか…

そして、発音も難しいらしい。日本語のように必ず音節に母音が含まれる言葉をしゃべっていると、子音ばっかり続く単語の発音はうまくできない。英語にしてみても、"crisps" の語尾をネイティブっぽく発音するのは難しい。そこへ来てチェコ語はさらに凶悪である。wikipediaからの引用をご覧いただきたい。

チェコ語の音韻論も多くの外国語話者にとって非常に難しいものであろう。例えば、zmrzl, ztvrdl, scvrnkl, čtvrthrstのように母音を持たないように見える語もある。しかし、子音である l や r が自鳴音として機能し、母音の役割を担っているのである。
「子音である l や r が自鳴音として機能し…」のくだりは、もはや意味が分からない。これは、妻から教えてもらったけど、外務省のチェコ語専門の人は、"zmrzlina"(ズムルズリナ):アイスクリーム、という単語がお店で通じたときに、上達を感じた、というエピソードを紹介していた。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/staff/challenge/int06.html

そもそも、一つの子音そのものの発音が難しい者もあるらしい。中でも、"ř"という子音は、wikipediaによれば、世界一発音が難しい子音といわれることもあるようだ。どれくらい難しいかというと、チェコ人の子供も発音できない子がいるらしく、特訓のクラスがある位だそうだ。
ちなみに、どういう音かというと、音楽家「ドボルジャーク」の「ルジャ」のところにあたる子音で、実際には「る」の音と「じゃ」を同時に発音するような感じらしい(間違っているかもしれないし、そもそも当然自分では発音できない)。

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チェコ語がこんなに複雑な文法・発音となっている背景には、チェコの悲しい歴史的背景があるようだ。チェコは長らく神聖ローマ帝国の支配下に置かれていた。つまり、基本的にはチェコ人は長らくドイツ人の支配下に置かれていて、特に三十年戦争以降数世紀にわたって、チェコ語の使用を禁止する政策がとられていたようだ。このような、ドイツ人の抑圧的な政策が、チェコ語を三十年戦争当時の中世的な言語のまま、いわば冷凍保存する形になった結果が、今の他の欧州言語に比べて難しいチェコ語につながっているようだ。

言葉は使っていると、「不便」なところはそぎ落とされていく。日本語の「ら抜き言葉」にしてもそうだし、英語でも、最近では舌を噛んで発音する "th" の発音を、舌をかまずに発音する若者が増えているらしい(と英語の発音のクラスの先生がぼやいていた。うちの息子たちも発音が乱れてるのよ…と)。
現代の感覚では、言語や文化の抑圧は、当然絶対に許されないことだが、チェコ語の豊かな言語的性格とその背景を考えると、歴史と文化のあり方はかくも因果なものだ、と思わずにはいられない。



2016年6月3日金曜日

BRP盗難・紛失時の対応方法


BRPとは、Biometric Residence Permitと呼ばれる、イギリスの在留許可証カードのことで、イギリスに長期滞在する外国人が所持しなければいけないカードのことです。
このカードには、ICチップが埋め込まれていて、Biometric という名前の通り、中に指紋や顔写真などのデータが入っています。2015年より、新規でイギリスの在留を開始する人は、日本でパスポートの貼られるビザ(紙製のもの)は最初の入国1回だけ有効なもので、入国後すぐ、指定された郵便局へBRPカードを受け取りに行く必要があります。ともかく、イギリスに住む外国人がこのカードをなくすと、(その後正式な手続きを踏まなければ)不法滞在になってしまう重要な代物です。

この大事なBRPカードですが、紛失してしまったり盗難にあってしまったりすることもあるでしょう。実際、最近家族がBRPの盗難に(しかもイギリス国外で)あったため、備忘録的に対応方法をまとめたいと思います。
当事者の臨場感あふれるレポートはこちらから

不幸にも似たような状況にあった人の助けになれば不幸中の幸いではありますが、①盗難等の場合は、何よりもまず警察に通報すること、②ビザ申請の手順やルールは、仕組みが頻繁に変わるので、自身で最新の情報を入手すること、を心がけてください。

さて、BRP盗難・紛失時の対応方法ですが、無くなった場所がイギリス国内か国外かで大きく異なります。

1.イギリス国内で盗難・紛失にあった場合
・警察等に通報の上、BRPカードの再発行手続きを、「3か月以内に」行う。

2.イギリス国外で盗難・紛失にあった場合
・警察棟に通報の上、イギリス再入国のための一時ビザの発給を、国外最寄りの英国ビザセンターで受ける
・再入国後、「1か月以内に」、BRPカードの再発行手続きを行う

※手続きを決められた期間の間に行わない場合は、数十万円単位の罰金や、ビザの更新拒否、最悪の場合は国外退去といった処分を受ける可能性があります。

イギリス国外で失くした場合は、イギリスに戻るための一時ビザの取得工程が加わりますが、イギリス帰国後の作業は、(申請までの期間が1か月と短いことを除けば)国内でなくなった場合と同様です。このため、以下では、イギリス国外でなくなった場合の流れを順に追っていきます。

なお、今回いろいろと調べるのに、一番役に立ったのは Warwick大学のページでした(どことは言いませんが、他の大学では古い情報が掲載されていて余計混乱したところもありました笑)。最終的には、政府のウェブサイト記載の最新の手続きに従う必要がありますが、まずWarwick大のページに目を通すことをお勧めします。
http://www2.warwick.ac.uk/study/international/immigration/current/lostpassportandvisas/

1.旅行前の準備

イギリス国外でBRPをなくした場合は、一時帰国ビザを国外で申請する必要がありますが、この申請の際には、日本で最初にイギリスのビザを取得した時に使った書類一式のほとんどが必要になる、と思っておいた方がいいです。このため、以下の書類の画像データや、各種番号情報をクラウド等に保存しておくことを推奨します。

  1. BRPカードの画像と、BRPカードの番号(画像が望ましいですが、BRPカード番号がわかれば、再発行手続きが早まると思われます)
  2. 過去10年程度のすべてのパスポートの顔写真ページの画像(日本でビザを申請した時と同様、過去10年分のパスポート情報と渡航歴を、一時ビザ申請の際に改めて入力する必要があります。)
  3. 在学証明書(学生の場合)、勤務先からの所属証明書(駐在の場合)
  4. イギリス国内の住所を確認できる書類2、3点(Council tax の支払い通知、電気ガス水道の支払い通知、賃貸物件の契約書、銀行の取引レポートなどが認められています。学生であれば、在学証明書でもよいと思います)
  5. (参考)旅行保険の証書(BRPとは直接関係ないですが、ヨーロッパの一部の国では旅行者に旅行保険の加入を義務付けています)


2.盗難・紛失にあったらすぐ行うこと


特に盗難の場合は、すぐに現地の警察に通報することです。一通りの事情聴取の後、警察からレポートが渡されるかと思いますが、このレポートは後々の申請手続きに必要になります。紛失の場合も、現地の警察に紛失届を出して、レポートをもらったうえで、ビザ申請を行う必要があります。非英語圏では、英語のレポートを作成してもらうのは難しいと思いますが、「盗難届」や「すり」などの、キーワードの部分だけでも、手書きで英語のメモをしてもらうように頼むと確実かと思います。

警察の対応や、BRP以外にクレジットカード等も被害にあった場合は、それらの対応を行ったうえで、イギリスのビザ当局に紛失届を提出する必要があります。下記のリンクから、指示に従って氏名・生年月日等を報告する必要があります。
https://www.gov.uk/biometric-residence-permits/lost-stolen-damaged

ちなみに、日本大使館や英国大使館に行っても、ビザ申請関係のことには関知しないとのことで、あまり意味がありません。もちろん、パスポートも合わせて紛失してしまったり、財布ごと盗難にあって無一文で身動きが取れなくなってしまった場合は、日本大使館で必要な支援を受ける必要があるでしょう。

3.ビザ申請を行う場所について

上記の初期対応が一通りの終わったところで、再入国用の一時ビザの申請手続きに移ります。ただし、申請から実際にビザを入手するまでには、最速でも10日程度時間がかかります(今回のケースでは、金曜の午後に盗難、同じ日のうちにビザ面接予約まで行って、翌水曜に面接、最終的にビザが手に入ったのはさらに1週間後の水曜でした)。

その後の旅行の行程や、同行者の事情、滞在地の治安などを踏まえて、①被害にあった都市にとどまった方がよいか、②近隣の大都市に移動した方がよいか、③思い切って日本に帰国した方がよいか、などを慎重に検討したうえで、ビザセンターの面接予約に進んでください。

4.Replacement BRP visa の申請

再入国用のビザは、"replacement BRP visa" と呼ばれるもので、パスポートに張り付けられる紙製のビザ、になります。なお、イギリス再入国後に再発行してもらうBRPカードは、"replacement BRP"と呼ばれており、"visa" がつくかつかないかの違いがある訳ですが、非常に紛らわしいので、政府のページを読む際には注意しながら読んでください。

Replacement BRP visa は、下記のサイトから申請を行います。基本的には、日本で最初にビザを申請する際のページと同じです。
https://www.visa4uk.fco.gov.uk/home/welcome

申請するビザの種類などは、次のように指定します。
Reason for visit: Other
Visa type: Others
Visa Sub type: Replacement Biometric Residence Permit


必要情報を入力すると、次にビザセンターの面接予約に移ります。面接を行う国を決めてしまうと、後から変更ができないらしいので、上にもある通り、その後の予定をしっかりと考えた上で面接場所を指定してください。

面接場所が決まったら、面接センターのページに移って、各種の情報登録やプレミアムサービスの購入などを必要に応じて行います。欧州の多くの国では、ビザセンターの業務は、TLS contact と呼ばれる業者に委託されているようです(ちなみに、日本の業務はVFS globalという別の業者が行っています)。
https://uk.tlscontact.com/

プレミアムサービスには、プライオリティ・サービスというものがあって、優先的に審査してもらえるサービスとなります。これをつけないと、ビザ発給まで面接から1~2週間ですが、つけた場合は通常5営業日以内になります。サービス料の出費は痛いですが、延長滞在費なども考えると、プライオリティ・サービスはつけること一択かと思います。

ちなみに、パリやベルリンのような大都市はわかりませんが、小さな都市ではビザセンターも小さく、東京のセンターのように、ビザ発給後、再びビザセンターに受け取りに行く、ということはできないようです。ビザ面接時に、パスポートを返却する住所を指定して、そこに配達業者が届ける、という形になります。頼れる知人がいるようなケースを除いて、ホテルの住所を指定する必要があると思いますので、この辺りも事前に見通しておいてください。

5.イギリス帰国後(またはイギリス国内で失くした場合)

※今回の自身のケースには該当しないので詳しくは調べていませんが、BRPの期間が残りわずか(1~2ヶ月)の場合は対応方法が異なるらしいので、注意が必要です。

イギリス帰国後は、BRPカードの再発行申請を行う必要があります。イギリス国外のケースとは違って、下記のリンクにある30ページ近くに及ぶ申請書類を記入したうえで、郵送、またはプレミアムサービスセンターの面接を予約する形になります。

https://www.gov.uk/government/publications/application-for-a-replacement-biometric-residence-permit-brprc

ただ、当然のことながらこの申請書類は作成が大変です。注意書きも不親切なところが多いです。そこで、役に立ったのが、Warwick大学のページでした。申請料金等、一部情報の古い部分がありますが、記入例を示してくれているので、留学生に限らずかなり役立つと思います。

http://www2.warwick.ac.uk/study/international/immigration/current/lostpassportandvisas/brp_rc__form_sample_jan_2016_final.pdf


郵送の場合は、上記書類を作成の上、申請書類に示された宛先に郵送します。その後のフローは、私はよく把握していませんが、どうもいろいろと呼んでいると、郵便局で指紋や写真を撮って送るように、という指示が後ほど来るようです。申請からBRPカードの入手までは、8~10週間程度かかるそうです。

一方で、プレミアム・サービス・センターを予約すると、その場で書類を確認しながら面接し、指紋や顔写真もその場でとり、カードの入手までかかる時間も2週間程度とのことです。ただ、問題なのはこのセンターの使用量はとても高い(500ポンド!)、イギリス全土に7か所しかなくて、どうやらロンドン近郊のセンターは日本人は使えないらしいこと、です。500ポンドの追加料金を払って、更に(ロンドン在住の場合、近場では)バーミンガムやリヴァプール、カーディフまで行く必要がありますが、再発行までの間は、別の国外旅行には行けないので、背に腹は代えられない場合も多いと思います。

6.かかる費用と時間のまとめ


(再入国ビザ:Replacement BRP visa)

・申請手数料:現地通貨で189ポンド相当+一部センターではセンター使用料が50ポンド相当程度
・プレミアムサービス料:EU諸国の場合は、200ユーロ程度
・プレミアムサービス利用時で、面接から5営業日以内、利用しない場合は1~2週間程度

(BRPカードの再発行:Replacement BRP)
・申請手数料:56ポンド
・プレミアムセンター利用料:500ポンド
・郵送の場合、郵便局での指紋採取等の手数料:40ポンドくらい?
・警察レポートの翻訳料(非英語圏の場合)
 2ページのレポート、ドイツ語→英語で80£程度が相場のようです
・郵送の場合、8~10週間程度。プレミアムセンターの場合、2週間程度


2016年5月26日木曜日

イギリス国民投票


えらい長くブログの更新が滞ってしまっていた。特に何があったわけではないけれども、最初の1ヶ月くらい張り切りすぎて5月病のようになっていたのかもしれない。まあ、これからはゆっくり更新していこうかと。ブログの更新間隔にご注意を(mind the gap!)

と、うまいことを言った気になって上で、本題の EU referendum、つまりイギリスがEUを離脱するかどうかの国民投票である。このイギリスの歴史を左右する国民投票がある6/23日まで1か月を切っていよいよ、という所である。日本のニュースでもさすがに最近、報道が増えてきていることだろう。昨日の日経新聞の記事で、この国民投票に向けたキャンペーンが進む中で、ブックメーカー(要は賭け事屋)をやっている企業が儲かっている、というものがあった。つまり終盤に入っても、残留派・離脱派が接戦を繰り広げている、ということだ。

(日経新聞)英EU離脱投票、一部企業では特需も 郵便事業や賭け業者
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO02788890W6A520C1FF2000/
(依然取り上げたウィリアム・ヒルが記事中で取り上げられている)


まあ、両陣営の主張など小難しい主張は、探せば日本語でもいい解説記事があるので、以下では肩の力を抜いて自分なりの視点で紹介していきたい。

***
おそらく日本では知らない人もいると思うので、両陣営のボスを紹介。

まず、残留派陣営のボスは、現英国首相のキャメロン首相である。
「(拙訳)本日は、(英国残留キャンペーンを行っている)StrongerInを訪ねることができてよかった。英国は、(英国の要望を受けて改革された)EUに残留することで、より強く、安全で、豊かな国になれるのだ」

アメリカのオバマ大統領や、安倍首相からも「残留が望ましい」という言葉を引き出して、首相としてのポジションを最大限に活用している感じである。ちょうど今は、サミットで志摩にいると思うが、G7でも何らかの言及があるだろう。


対する離脱派陣営のボスは、2008年からこの5月までロンドン市長を務めたボリス・ジョンソン代議士である。

「(拙訳)[BBCニュース]『6月24日(投票日の翌日)はイギリスの独立記念日になる!』」

日本では、ボリス・ジョンソン氏はあまり知られていないと思うが、イギリスの未来の首相候補とも目される、重要な政治家の一人である。ロンドン市長といえば、日本でいえば東京都知事のようなものかもしれないが、こちらではロンドン市長であると同時に国会議員であることもでき、国政の大物政治家への登竜門的な位置づけのようだ。それに、少なくともここ最近の東京都知事のようにお金に汚い感じもなくさっぱりしたものだ(美術品が好きな某都知事と違って、ボリス・ジョンソン氏の好きなものはアイスクリームなので、あまりお金がかからないのかもしれない)。


(ボリス・ジョンソン氏の好物はアイスクリームのようだ)


残留・離脱両陣営は、ここ数ヶ月火花を散らし続けているので、この二人、さぞかし仲が悪いだろう、と思うかもしれないが、実は二人とも保守党の議員であり、5月のロンドン市長選では保守党の立候補者を仲良く応援していた(その保守党の候補者は負けてしまったが…)。

(左から ボリス・ジョンソン氏、ザック・ゴールドスミス氏(市長選候補者)、キャメロン首相)


***

EU離脱を巡っては、様々な論点で論争が進められている。もちろん、主要な論点はEUとの貿易や移民、規制の統一化といったところだが、安全保障や外資系企業の誘致といったところも重要な論点として挙がっている。
ただし、このように上がった論点のほぼすべてで、EU離脱は少なくとも短期的にはイギリスにとってマイナスに働くだろう。EUという相手とチームで頑張って取り組んできたところから抜け出すといっているので、まあこれは当然である。キャメロン首相陣営は、この短期的なマイナスがものすごく大きい(試算によると年間1世帯当たり70万円くらいらしい)し、長い間影響が残る、と主張して残留への投票を増やそうとしている。

至極説得力のある話だ。では、一方でなぜ離脱派がこんなにも勢いを持っているのか?移民・難民を嫌っている人が多い、という排他的な話を持ち出す人もいるかもしれない。確かに、そういう人が一定数いるのはそうだろうが、そのように排他的な主張のみではここまでの勢いを維持するのは難しいだろう。
両陣営の論戦を聞いた上での個人的なまとめとでは、残留派の主張を簡単に言えば、「EUのみんなと一緒に頑張った方がいろいろはかどって良い」ということだが、離脱派の主張は「EUの頑張り方はおかしいから、離れて自分で自分に合ったやり方で頑張った方がいいんじゃないか?」ということなのだろう。確かに、EUは頑張っているかもしれないが、南欧の債務危機対応や難民問題対応の行方を見る限り、EUの取り組み方が最も迅速かつ効果的、と言い切れないのはやむを得ないのかもしれない。今後も、どんな経済・安全保障・人道上の危機がヨーロッパを襲うかわからない中で、本当にEUの枠の中で主権を制限されていていいのか?というのが離脱派の根底を流れているのが、この国民投票を悩ましく、そして面白いものにしているのだろう。

***

ただ、ここへきてまだよくわからないのは、EUやドイツに対するイギリス人の反感のようなものがどれだけ影響を与えているか、だ。ボリス・ジョンソンは先週、

「ヨーロッパの歴史とは、栄光と繁栄のローマ帝国を再現しようと試みてきた歴史だ。ただ、ナポレオンやヒトラーやほかの例を見ても分かるように、それらは悲劇的な結末を迎えた。今のEUは、こうした試みを別の形で行おうとしているだけだ」

と、EUをヒトラーになぞらえる演説をして炎上してしまった。この発言は軽率だったのだろうが、イギリス人の大陸欧州、特にドイツに対する感情、そして上で書いたようなEUの苦戦の背景にドイツとEUとの利害の対立があることが、離脱派を下支えしているのだろうとは思うが、どうも得心はいっていない。

***

ところで、ボリス・ジョンソンは、よく変な髪型になることで有名だ。

「(拙訳)もし「ドナルド・トランプ大統領」と「ボリス・ジョンソン首相」が風の強い日に会ったらどうなるだろうか。きっと、金髪の大惨事になるだろう!」

http://www.theguardian.com/politics/gallery/2012/jun/08/boris-johnson-bad-hair-pictures
(ガーディアン紙:ボリス・ジョンソンのひどい髪型集)

そのせいか、例のヒトラー発言の後、こちらの政治をテーマにしたクイズ番組 "Have I got news for you" の中で、コメンテーターの一人に「ヘア・ヒトラー」とこき下ろされていたのが印象的だった(ドイツ語でヘア(Herr)はMr の意味だ)。
同じ番組の中で、ボリス・ジョンソンが、EUに払っている負担金(1週間当たり£3億5000、約500億円強)の金額が書かれた小切手を、製鉄所の溶鉱炉で焼くパフォーマンスの場面を紹介していた。
EUに残留していると、大金をどぶに捨てているぞ、というパフォーマンスである。そして、その映像の後で司会が「同じことを今年のマンチェスター・ユナイテッドもやりました」とコメントしたのも相当受けていた(レスター優勝のすぐあとだったこともあって)。

EU離脱問題では、激しい論戦も続いてややピリピリした空気になっているのが残念ではあるが、そうした問題も果敢かつ軽やかに風刺するテレビ番組があるのが、さすがイギリスという所なのだろう。


2016年3月19日土曜日

アイラ島旅行記(4):ラフロイグ蒸留所 重税とイノベーションのジレンマ


アイラ島蒸留所巡りの二日目は、ラフロイグ蒸留所とブナハーブン蒸留所を回った。その日は日曜でバスが運行していなかったため、タクシーをチャーターして島内を巡った。まずは、午前のラフロイグ蒸留所から。

ラフロイグのウィスキーは、日本ではボウモアと並んで有名なアイラウィスキーなので、名前を聞いたことがある人も多いと思う。ただ、英語のつづりでは "Laphroaig" と書いて、ラフロイグと読む難読地名である。北海道出身の身としては難読地名には親しみを覚えるけど、旅行の計画を立てているときに、何度も google先生にスペルを直されるのがつらいところである。
このラフロイグは、ゲール語由来という以上は定かではないらしいが、「広い入江」といった意味の言葉が変化したといわれている。確かに、ラフロイグの近くにはきれいな入り江があって、たくさんのアザラシを見ることが出来たので、説得力がある話だ。


ラフロイグ蒸留所の名前が書かれた白壁

ラフロイグの近くの入江にはたくさんのアザラシがいた
(photograph: Courtesy of S.H.  http://goo.gl/e6DnJS

ラフロイグ蒸留所はボウモアと並んで、フロアモルティング、つまり蒸留所内での発芽・ピート燻製工程を続けている数少ない蒸留所の一つである。ただ、実際にフロアモルティングで作られた大麦は2割だけで、残りの8割は機械化された工場から調達しているとのことだ。ラフロイグは世界的に人気のあるウィスキーなので、そうでもしなければ生産が追い付かないらしい。


フロアモルティング現場

アイラ島内ポートエレン地区にある大麦のピート燻製工場。
島内の多くの蒸留所はこの工場から大麦を仕入れている。
ラフロイグのウィスキーは、アイラ島の中でもとりわけピートが強いウィスキーだ。そのためかどうかはわからないが、ピートに島内で一番こだわりを持っていて、いまだに人力で切り出したピートを使っている(その他の蒸留所はすべて機械でピートを切り出している)。下の写真にある専用のスティックのようなものを使って、泥炭地からピートを切り出していくわけで、想像するだけで重労働なことがわかる。ただ、機械で力を加えつつ切り出し圧縮されてしまったピートよりも、手で掘り出したピートはより水分を含み、大麦にピートのにおいを移すのに最適、とのことだ。
ラフロイグ蒸留所のツアーには、実際にピートの切り出し作業を半日かけて体験できるコースがあるそうだ。工場見学もそこそこに、長靴に履き替えて近くの泥炭地まで連れて行ってくれるらしく、きっと労働した後のラフロイグは格別の味がするのだろう。

ピートを人力で切り出すための用具とのこと
 
ラフロイグは蒸留釜が6つもある大きな蒸留所だ

ラフロイグ蒸留所は、2005年からビームの前身である Fortune Brand が所有しており、その流れのまま2014年からは、ビーム・サントリーが所有している。そのためか、サントリーの新浪社長のカスクが展示されていた。ボウモアの Keizo Saji's Cask のように数十年後は、Niinami Cask がつくられるのかもしれない。

ウェアハウス。なんだかおしゃれだ。

サントリーの新浪社長のカスクを発見!

***

古今東西を問わず、人間に共通の性質を2つあげるとすれば、「出来るだけ税金は払いたくない」ということと、(下戸の人ももちろんいるけど)「酒を飲むのが好き」ということだろう。そして、目ざとい政府はこの人間の性質を知ってか、時代を問わず酒に税金をかける訳である。

ラフロイグは1815年操業だが、100年近くにわたって非合法だった(つまり密造酒を作っていた)とのことだ。ツアーで一緒になった米国人は「100年も密造していたのか!」と仰天していたくらいだ。昔のウィスキー業者が密造しなければいけなかったのは、酒税が超高額だったからだそうだ。しかも、この重税はスコットランドを事実上吸収したイングランドによる搾取の色合いが強かったため、民族対立的な感情も合わさって大きな抵抗につながった。
だが、今のウィスキーがあるのは、重税逃れのためのイノベーションの積み重ねによるものだ。使い古しのオーク樽やシェリー樽で保存するのはカモフラージュためだったし、政府の目を盗んで市場に出さなければいけないので、なかなかタイミングをつかめず自然に長期熟成になったようだし、ウィスキー作りに適した冷涼な渓谷や島は、隠れて悪事をするには最適だ。付け加えれば、こそこそやっている以上、大麦の乾燥にも仕方がなくピートを使うしかなかったようだ。

経済学では、「できるだけ税金は払いたくない」という人間の特性のために、社会的にもったいないことが起きてしまうので、十分注意して税制を設計する必要がある、と主張する。所得税を高くし過ぎると、能力のある人がばかばかしく思ってそこまで働かなくなるとか、軽減税率を導入すると「おもちゃ付お菓子」は「おもちゃなのかお菓子なのか」の議論に、国会の大事な時間が使われるとか、そういう類の話だ。お酒に関しても、日本の酒税には批判が多い。複雑で高額な酒税に対応するために、日本のビール会社は発泡酒や第三のビールの研究開発にお金をかけざるを得ず、ガラパゴス化してしまったと主張するエコノミストが多い。

ただ、税金を払いたくない人間は、必死で抜け道を探すし、その努力がイノベーションにつながることがあるのが、何とも難しいところだ。昔から政府が「経済学」に忠実な税制を取っていたら、きっと今飲んでいるウィスキーはこの世に存在しなかっただろう。もちろん発泡酒や第三のビールも。政府が生み出した非効率がイノベーションを促進する、という「イノベーションのジレンマ」を思いながら、とりわけピート臭いラフロイグを飲み干した。

1815年創業のラフロイグは、創業200周年を迎えたばかり。
ただ、200年のうち半分ぐらいの期間は非合法だったようだ。



2016年3月15日火曜日

アイラ島旅行記(3):ブルックラディ蒸留所と設備投資の難しさ


アイラ島旅行で二つ目の蒸留所は、ブルックラディ(Bruichladdich)蒸留所を訪れた。ボウモアのバス停からバスに揺られること30分ほどで、蒸留所前のバス停に到着。ボウモアの湾をぐるっと回りこんできたこともあって、湾の向こうにボウモアの集落が見える。全く英語っぽくない響きからわかる通り、Bruichladdich もゲール語由来の言葉で、「石でごつごつした海岸」といった感じの意味らしい。

蒸留所前から対岸のボウモア地区を望む
近くの桟橋から見た蒸留所。

ブルックラディ蒸留所は、白壁に黒文字で書かれた壁がない代わりに、樽を並べたなかなかかわいらしいモニュメント?があった。樽の地の色や、ビジターセンターの文字などは、すべて緑色に統一されている。この色は、2001年の5月にこの蒸留所が操業を再開した日の、目の前の湾の色だった、とのことだ。1994年に蒸留所がいったん閉まってから、操業再開までの間には、多くの人の大きな努力があったとのことだ。それらの人たちにとって、再操業初日に緑色に美しく染まった湾の景色は、何よりも心に残ったに違いない。

蒸留所入り口で名前をあしらった樽がお出迎え

ブルックラディは、ラディ―(Laddie)という愛称で親しまれている
再操業後、機械をブルックラディ色に塗りなおしたらしい

蒸留所前の海。3月の海は、まだまだ寒々とした青だ

ブルックラディ蒸留所は、アイラ島で2番目に小さい蒸留所で、島内でビン詰めを行っている唯一の蒸留所だ。そのためかはわからないが、色々と独特でとがったラインナップを持っている、という印象だった。例えば、オクトモア(Octomore)というブランドは、"super-heavily peated"と説明がつけられており、ものの話では世界で最もピートが強いウィスキーだそうだ。ウィスキーのピートの強さは、ppmという単位ではかるそうで、ピート臭いアイラウィスキーの代表であるラフロイグでも30~40ppmくらいだが、オクトモアは200ppmを越えるというから、想像しただけでピート臭さが伝わるだろう。糖分を抽出した大麦は、島内の牛や羊のエサになるのだが、牧場主の多くは動物たちが臭くなるから、といってオクトモアに使った大麦カスの引き取りを拒否するらしい。
その他、"Botanist" という名前の、おしゃれなジンも販売していたりと、売店をいくら見ていても飽きないラインナップだった。

ブルックラディで使われる3種類の大麦。右のオクトモア用大麦からは、強烈なピート臭がしてくる。

ブルックラディ蒸留所の特徴は、そのレトロな生産設備にあるだろう。乾燥大麦を粉砕する機械はスコットランド全土を見渡しても珍しい木製のものがいまだに使われている。



木製のレトロな生産設備

そして、大麦にお湯を注いで糖分を抽出する桶である "mash tun" も非常に特徴的だ。この mash tun は、他の蒸留所のものと違って蓋がない(スコットランド全土でも片手で数えられるほどしか残っていないそうだ)。細かい説明を聞き漏らしてしまったが、法律だか規制が変わったか何だかで、ある時代以降の mash tun は必ず蓋がついていなければいけなくなったためだそうだ。ブルックラディは、この mash tun を1881年の操業開始当社から使い続けているそうで、伝統的製造装置にこだわるブルックラディの象徴になっているようだ。

Mash tun を上から撮影。蓋がない(photograph: courtesy of S.H.)
http://goo.gl/NsQJ3J

***

シングルモルト・ウィスキーづくりは、他の酒類製造に比べても特に資本力ものをいう分野だ。蒸留設備への投資が必要なのはもちろん、少なくとも10年程度は文字通り在庫を「寝かせる」必要がある。しかも、樽詰めしたときには、それが出荷されるであろう10年以上先の需要動向を予想するのは非常に難しい。それに、もちろん、多額のブランディング費用もかかる。
そのためか、家族経営から出発したアイラの蒸留所も、ほとんどがディアジオやビーム・サントリー、MHLVといった蒸留酒業界の超巨大企業に所有されるに至っている(ブルックラディ自体も、今はレミーマルタンが所有している)。ボウモアにしても、カリラにしても、こうした巨大企業の下で、伝統的製法へのこだわりは一部残しつつも、基本的には製造工程の機械化・IT化を進めている。この流れの中で、雇用が減り、昔ほどとがった製品が出てきづらくなることを残念に思う声もきかれる。

一方で、ブルックラディは、幸か不幸かこのような機械化・合理化の流れから隔たれたところにいたようだ。ツアーガイドのお兄さんによると「20世紀の中ごろ以降、何度も所有者が変わったけど、みんな目先のことしか考えていなくて、設備投資をしようとはだれも思わなかったんだ」と言っていた。もし、その当時、腰の据わった所有者がいて、大々的な設備投資をしていたら、ブルックラディはもっと大きく有名な、でももう少しつまらない蒸留所になって、1990年代の閉鎖を回避できていたのかもしれない。

ともかく、一周回って、伝統的な装置にこだわり続けることが、かえってブルックラディの強みであり面白さになっているのが何とも興味深いところだ。こうした差別化を可能にするくらいに、広がりと深みを持っているところが、さすがアイラ島のウィスキー産業、ということなのだろう。


2016年3月13日日曜日

アイラ島旅行記(2):ボウモア蒸留所と日本人的心づかい


今回のアイラ旅行の蒸留所巡りは、ボウモア蒸留所からスタートした。ボウモア蒸留所は、滞在先のボウモアホテルから徒歩数分のところで、ボウモア湾に面している。ちなみに、"Bowmore"とは、ゲール語で「大きな湾」という意味らしい。

工場の白壁に書かれた BOWMORE

ボウモアは、アイラ島の蒸留所の中で最も古い蒸留所で、1779年の創業らしい。スコットランド全土で見ても、有数の歴史のある蒸留所とのことである。ボウモア蒸留所の特徴は、大麦の発芽工程とピートによる燻製工程というウィスキーづくりの最初の工程をいまだに自前で行っている、数少ない蒸留所であることだ。

シングルモルトウィスキーの製造過程の最初は、大麦をまず発芽させることで、大麦の中に砂糖をたくさん作りだす。その上で、ピートを焚いた煙で燻製して香りをつけて、乾燥させる。だが、これらの工程はとても手間がかかる。大麦を発芽させる際には、水分を大麦に含ませて風通しのよい床に一面敷き詰めることで、発芽を促す。ただ、そのまま放置すると水分で傷んでしまうので、4時間に一度、大麦を混ぜ返す必要があるそうだ。

一面に敷き詰められた発芽中の大麦
大麦を手に取ると、確かに発芽している

そのうえで、Kiln と呼ばれる建物で、ピートを焚いた煙でいぶすことで香りをつけるとともに、大麦を乾燥させる。この Kiln は蒸留所の特徴ともいえる下のような建物だ。Kiln の中で、ピートで15時間いぶしたのち、45時間かけて乾燥させるようだ。ちなみに、ピートでいぶす時間の長さによって、ピート臭さが決まってくる。

Bowmore の Kiln. まだ現役で使われている

Kiln の床。下からピートを含んだ煙が上がってくる

乾燥された大麦は砕かれて grist と呼ばれる粉になる。これを、 "mash tun" という大きな容器に入れて、お湯を注ぐことで、大麦の糖分を含んだ液体を抽出する。この甘い液体は wort と呼ぶそうである。

Grist bin  大麦が粉砕されて粉になる
Mash tun  粉になった大麦にお湯を通して糖分を抽出する


Wort は常温に冷やされた後、wash back と呼ばれる発酵桶に蓄えられ、イースト菌が投入される。イースト菌が糖分をアルコールに変えることで、ウィスキーのもとが出来上がる。ボウモア蒸留所では、いまだに木製の wash back を使っていて、これもボウモアの香りにつながっているようだ(今では洗浄が容易で耐久性が高いステンレス製が主流)。


Wash back  この桶の中で、発酵によるアルコール生成が行われる。
それぞれの wash back には、歴代オーナーの名前がついているようだ。

Wash back で作られたアルコールは、度数8%くらいでビールと同じような状態である(実際、ここまでの製造工程はビールづくりと基本は同じだ)。このアルコールが蒸留されることで、ウィスキーのもととなる。蒸留釜(pot still)は、下の写真の通り銅製だ。 2回の蒸留を行うことで、度数60%強の生まれたばかりのウィスキーが生まれ、これを樽詰めして熟成することでウィスキーになる

pot still 「大きなヤカンで、アルコールを含む湯気を集める」という説明を、旅行中5回くらい聞いた。

工場見学の後は、海の見えるラウンジでテイスティングである。テイスティンググラスがなかなかおしゃれだ。


見学後は、特製のテイスティンググラスでテイスティング

さて、このボウモア蒸留所は、おそらくアイラ島の蒸留所の中で、最も日本となじみが深い蒸留所だ。というのも、1994年からサントリーがボウモア蒸留所を所有しているからだ。そのためか、日本語のパンフレットも充実していたし、係りの人も心なしか日本人にやさしいような気がした。

この日、滞在先のボウモアホテルで、ボトルのコレクションを見ていると、Keizo Saji's Cask というボウモアの特別なボトルが目に留まった。このボトルは、1994年の蒸留所買収に先立つこと3年、1991年に、サントリーの故佐治敬三氏がボウモア蒸留所を訪れた際に、佐治氏が樽詰めを行ったウィスキーで作ったボトル、とのことである。この樽(cask)は、女王陛下が樽詰めした樽の隣で保管されていたとのことで、21年の熟成を経て瓶詰され、ボウモア蒸留所の従業員や関係者に感謝の気持ちを込めてプレゼントされたものだそうだ(つまり非売品である)。
アイラ島で最も歴史のある蒸留所をサントリーが所有しているというだけでも誇らしいが、更にこのような日本人的な心づかいのエピソードを知って、より感慨が深まった瞬間だった。

Keizo Saji's Cask: 非売品の貴重なボトルで、ボウモアホテルに大事に飾ってあった。